ウィニコット『赤ちゃんはなぜなくの』について――その8
(星和書店2013年11月刊『子どもと家族とまわりの世界(上)赤ちゃんはなぜなくの』猪股丈二訳より。引用は特に断り書きのない限り本書からです。)
☆母親が心配したり、興奮したり、怒ったりする時に、赤ん坊は、そのことを知っている。
「あなた方は、胎児の胎動によって、すでに赤ん坊の特徴の何がしかを知っているでしょう。
胎児がよく動けば、『男の子は女の子よりよく動く』という興味ある諺にあるように、男の子かと思うでしょう。何れにしてもあなた方は、この速い動きを生命や生きているという現実の象徴として喜ぶことでしょう。この期間に赤ん坊は、あなた方についてかなり多くのことを知るようになると思います。赤ん坊は、あなた方の食べ物を分かちもちます。あなたが朝一杯のお茶を飲んだり、バスに間に合うようにかけ出すと、赤ん坊の血流はより早くなります。あなたが心配したり、興奮したり、怒ったりする時には、何時でも赤ん坊は、ある程度そのことを知っているに違いないのです。あなたが落ち着かなければ、赤ん坊はいつも動くようになります。生まれた後は、あなたの膝の上で揺られたり、自分のベッドで揺り動かされることを期待するでしょう。これに反してあなたが落ち着きのある人であれば、赤ん坊も落ち着き、静かな膝を期待し、静かな乳母車を好むようになります。あなた方は赤ん坊が生まれるまで、赤ん坊の泣き声を聞くまで、赤ん坊を理解し、見つめたり、抱っこしたりできませんが、ある意味では赤ん坊はあなた方が知っている以上にあなた方のことを知っていると私は言いたいのです。」(第二章 あなたの赤ん坊を知ること 20~21頁)
☆Comment
ぼくは今でも落ち着きがありません。しかし、子供のころは母親からよく「落ちつけば一人前」と言われていました。それほど落ち着きのない子どもだったのです。その原因は子どものぼくは知りません。
学生時代にバイト先でラジオがかかっていました。そこで人生相談をやっており、妊娠中の引越は胎児に影響を与えるので避けた方がいいと言っていました。それをきいてぼくはびっくりしました。ぼくは胎児のときに二度も引越を経験しています。一度目は妊娠初期だと思います。
父が家にいました。ぼくのあにきである長男が外で遊んでいました。すると「おい坊主ボールをとってこい」と近所のガキ大将が兄に命じたそうです。すると父は怒ってそとに出て、「坊主とはなんだ、名前があるんだ、名前を呼べ」とそのガキ大将をどなりつけました。これに怒ったのがガキ大将の親父です。借家の共同井戸の蓋を持ち去りました。子どもたち(戦後すぐでたくさん子どもたちがいました)が蓋のない井戸にいろんなものを投げ込んで、井戸をつかえなくしてしまいました。母はこまって上水道をひきました。それでも「お父さんもうここには住めないね」といいました。それで父は金を借りて太平洋戦争で焼け残った小さな家を一軒買いました。そこに妊娠中の母はひっこしました。これが一度目の引っ越しでした。ところが蛇口から水道の水をだすと、水は排水口にむかわずに反対の方向に流れていきました。それをみて母は、「お父さんここには長いこと住めないね」といいました。そこで父は千住に土地を買いました。そして家を新築することになりました。そこで母は同じ信心をする大工に金をわたして建築してくれるように頼みました。ところがその大工が逃げてしまいました。そこで母は着物を売って資金を作り、別の大工に建前まえまでやってもらいました。そのときはもう臨月でした。ぼくはお腹の中で母の苦悩を感じていたとおもいます。建前がすむと壁も屋根も葺いていない状態で母は引越しました。これが二度目の引越です。タライは新しいのを買いました。そして同じ信心をしている産婆さんに頼んでぼくを生みました。ぼくの誕生でした。
後年は母は、苦労したのはわたしで、お前はお腹のなかでノウノウとしていたと言いました。ぼくはもちろん覚えていませんが、ノウノウとはしていなかったのです。ぼくは母の不安なこころを肌に感じていました。そして不安で心配性の心理を育ててしまっていたのです。その結果がなにより落ち着きのない子どもという性格になってしまったのです。
ウィニコットもいうとおり、胎児のときから、子育ては始まっているのです。
(この項つづく)
源氏物語の登場人物の性格》その225
(国民の文学3源氏物語上 与謝野晶子訳 河出書房新社 昭和39年刊より引用)
☆『源氏物語』の性格描写
○源氏が桐壷院の命日(一周忌)に藤壺に送った歌
「別れにし今日は来れども見し人に
行き逢ふ程をいつと頼まん」(榊・199頁)
☆辞書・事典から
頼まん=頼りにする。あてにする。頼る。期待する。
訳=故桐壷院にお別れした日が今日やって来ましたが、亡くなられた方に巡り合う日を、いつと期待すればいいのでしょうか。
☆Comment
十一月の中旬で雪がひどく降っていました。源氏は仏事をしている藤壺(中宮)に歌を送りました。
(この項つづく)
(メルマガ・2018年5月5日)
http://www.mag2.com/m/0000163957.html
(速読へようこそ)
https://1wainsokudoku.amebaownd.com/
掲載記事の無断転載を禁じます。
Copyright(C) Tonooka-Hideaki