芹沢俊介の『親鸞で考える相模原殺傷事件』
その45
東京一組よにん会2017年8月10日発行の冊子(真宗大谷派 東京教区 東京一組 教化委員会編集 東京都台東区浅草1-9-3 円照寺)
☆色彫りの刺青は自己破壊的で、職業の選択肢を考えると、絶望的に幅がない。
「養育論から考える自傷行為
――植松に関しては、まだ裁判が始まっていないので、分からない部分が多いですね。お父さんが学校の先生、お母さんがホラー漫画家だということで、もともとは仲がいい親子関係だったそうですが、事件の直前には別々に暮らしていたということらしく、まだまだ情報が断片的です。
芹沢 私たちは報道から入手できた情報で判断するしかないのです。乏しい情報の中で考えたのは挫折の問題です。もともと特別支援学校の先生になるために教員採用試験を受けた、ところが落ちてしまった。その挫折をどう彼の自我というか主体が受け止めていったのか、そこが私にとっては最大の関心事になったし、いまもなっているわけです。そうすると、受け止めきれなかったのだろうと。受け止めきれてなかったから、刺青を入れてしまった。それも体の広範囲にわたる素掘りではなくて色彫りの刺青です。へたくそな彫物ですが、確かに自己顕示的である、と同時に自傷行為であり、もっと言えば自己破壊行為でもあるのです。自己顕示的であるより、自己破壊的な見方に傾いてしまう。もう簡単に消せないわけですから、職業の選択肢ということを考えると、絶望的に幅がない。そこは養育論からしてすごく気になりますね。」(118~119頁)
☆辞書・事典から
自己顕示的=自分の存在を目立たせ,他人の注意をひくこと。また,自分を実際以上に見せかけること。
自傷行為=手首を切る、皮膚を鋭く搔いたり刺したりするなど、自分で自分の体を傷つけること。
自己破壊=自分自身を傷つけること。
養育=子供をそだてること。 「 -費」老人・親のいない子・病人などを保護すること。 「 -院」
☆Comment
わたしたちはだれも挫折を体験します。ぼくも幾たびか体験しました。そこから這いあがるのは容易ではありません。しかし、それをなんとかのりこえてきました。すてばちにならないで、なんとか自分を癒し、あらたな興味のあることがらにじぶんの気持をむけてきました。
だれに教わるともなくそうしてきました。しかし、直接挫折のことを話さなくても、人との接触で慰撫され、励まされてきたのだとおもいます。
ぼくは今、いくつかのセミナーに参加しています。そこで直接学ぶことも大きいですが、それ以上に、どこか気持ちを慰められ、元気づけられてきたことが、じぶんを支えてきてくれたのだと、あらためておもいます。
そのような機会に恵まれるか、そのような機会に参加することができるかどうかはとても大きなことだとおもいます。
(この項つづく)
《源氏物語の登場人物の性格》その221
(国民の文学3源氏物語上 与謝野晶子訳 河出書房新社 昭和39年刊より引用)
☆『源氏物語』の性格描写
○藤壺が宮中を訪れてきた源氏に贈った歌
「九重に霧や隔つる雲の上の
月を遥かに思ひやるかな」「(榊・198頁)
☆辞書・事典から
九重=天子の住む所。宮中。ここのえ。いくえにもかさなっていること。
訳=宮中に霧がかかって隔てているのでしょうか。雲の上の月をおもうように遥か昔を思いだしております。
幾重にも霧が立ち込めて、間を隔てているためでしょうか。月を見ることはできませんが、雲の上のはるか遠くまで想像して、昔、宮中で楽しく賞美したあの月を思い出しておりますわ。
☆Comment
桐壺院の死後、藤壺中宮は、自分と源氏の子どもである春宮の将来を心配しています。藤壺は、ひそかに出家しようと考えていました。そこに来た源氏に昔とすっかり変わったことを歌にしてみせまたのです。
宮中には幾重にも霧が立ち込めて月を見ることはできません。雲の上の月を想うように、昔、宮中でみた月を想いだしていますと源氏に歌で語りかけるのです。
それはいいのですが、藤壺のことを中宮と役職だけで呼ばれると、読者であるぼくは、だれのことなのかと一瞬考えてしまいます。源氏物語は注釈書が多数あって調べられるからいいのですけれど。
(この項つづく)
(メルマガ・2018年5月1日)
http://www.mag2.com/m/0000163957.html
(速読へようこそ)
https://1wainsokudoku.amebaownd.com/
☆掲載記事の無断転載を禁じます。
Copyright(C) Tonooka-Hideaki