ウィニコット『赤ちゃんはなぜなくの』について――その7
(星和書店2013年11月刊『子どもと家族とまわりの世界(上)赤ちゃんはなぜなくの』猪股丈二訳より。引用は特に断り書きのない限り本書からです。)
☆妊娠すると、自分自身を多少誇りに感じたり、尊敬に値する人であると感じるようになります。
「まず最初に、妊娠という事実を不愉快に思う人もあるでしょう。というのは、その人『個人』の生活がひどく妨げられ、この妨げをあからさまに知らされることになるからです。そのことは全く真実であり、それを否定することは愚かなことです。赤ん坊は、非常にやっかいものです。望まれて生まれた子どもでもなければ、実に厄介者です。若いお母さんがお腹にいる赤ん坊を欲しいと思うようになるまでは、自分は本当に不幸であるという感情を避けることはできません。
しかし体験的には、妊娠した女性は身体的な変化と同じように感情的な面でも徐々に変化してきます。彼女の関心が次第に狭くなるといういえるでしょうか? おそらく関心の方向が、外側から自分の内側へ向うようになるといった方がよいでしょう。ゆっくりではあるが、確実に、世界の中心は自分の体の中にあると信じるようになります。
ちょうどこの段階に達している読者もいるでしょう。また、自分自身を多少誇りに感じ始めていたり、自分は尊敬に値する人であると感じ始めたり、人々は舗道では当然妊婦に道をゆずるべきであると感じ始めたりしている人もいるでしょう。」(第二章 あなたの赤ん坊を知ること 17~18頁)
☆Comment
ぼくはなぜ本を読むのでしょうか。たぶんこの世にはぼくのしらない世界がいっぱいあるとおもうからです。そのわずかでも知っておいて方がいいとおもうからです。ウィニコット『赤ちゃんはなぜなくの』もそうして貴重な本のひとつです。ぼくは妊娠した女性が安定期にはいったときの心境の変化を妻の表情では知っていましたが、その気持ちがこれほどのものであるとは理解していませんでした。
男は世界の中心はじぶんのからだの中心、あるいはじぶんの心にあると感じることなどあるのでしょうか。ちょっと想像できません。
(この項つづく)
源氏物語の登場人物の性格》その220
(国民の文学3源氏物語上 与謝野晶子訳 河出書房新社 昭和39年刊より引用)
☆『源氏物語』の性格描写
○源氏は御所での通りすがりの男にあてつけを言われる。
源氏は東宮の御勉学等のことについて奏上をした後に退出して行くとき皇太后の兄である藤大納言の息子の頭の弁という、得意の絶頂にいる若い男は、妹の女御のいる麗景殿に行く途中で源氏を見かけて、「白虹日(はつこうひ)を貫けり、太子懼(お)じたり」と漢書の太子丹が刺客を奏王に放ったとき、その天象を見て事の不成功を恐れたという章句をあてつけにゆるやかに口ずさんだ。源氏はきまり悪く思ったがとがめる必要もなくそのまま知らぬふうで行ってしまったのであった。」「(榊・198頁)
☆辞書・事典から
漢書=中国の正史の一。前漢の歴史を記した紀伝体の書。一二〇巻。後漢の班固の撰,妹の班昭の補修。82年頃成立。
麗景殿=平安京内裏の殿舎の一。宣耀殿の南,弘徽殿の東にある。皇后・中宮などの居所。
太子丹=少年時代は、趙に人質として送られ、同じく人質だった秦の王族だった政と親しくしていたことがある。後に本国に帰国して、燕の太子となった。後年に燕の使節として、かつて昔なじみの秦の秦王政に挨拶をしたが、秦王政から冷たく対応されて、丹は衝撃を受けて秦は燕にとって災いをおよぼす国だと判断して、帰国した。
帰国して秦の強大化を危惧した丹は、重臣である鞠武へ如何にすべきか相談したところ、鞠武は「秦は三晋(趙・魏・韓)を脅かし、北に甘泉・谷口が天然の要害となり、南に涇水・渭水に沿った肥沃な大地を有する。肥沃な巴や漢中を独占し、右は隴・蜀の山脈、左は函谷関・殽山に守られている。人口は多く、また兵士も勇猛で、武器防具も満たされている。」と評して秦と争うことの愚を献策したものの、丹はそれを聞き入れなかった。
秦の軍勢の少数精鋭化により解雇された兵士たちを哀れに思って、それに反対した秦の元将軍である樊於期が、秦王政に疎まれて燕に亡命してきた。丹がこれを匿う様子を見せたのに対して、鞠武は「樊於期を庇うことは『飢えた虎(秦)の目の前に肉を置く』ようなもの。樊於期を匈奴へと追放した上で、三晋及び斉・楚、匈奴と同盟を結んで対抗すべき」と再び献策したものの、丹は政の非情な政策により命を狙われ、家族までも殺されて、行く宛てもなく秦に追われながら逃げ続けていた樊於期の窮状に哀れみを感じ、この策を退けた。鞠武から紹介を受けた田光に、丹は秦への対応策を相談したところ、田光より荊軻を頼るように助言を受けた。丹は帰り際、田光へ「今まで話した内容は他言無用」と語ったことに対し、荊軻へ丹からの用向きを伝えた田光は「田光は自害したので、もはや漏れることはない」と荊軻に言い残して自ら命を絶った。これを荊軻より聞いた丹は深く悲しんだ。丹は、秦王政を暗殺するため荊軻を刺客として、荊軻の説得で自殺した樊於期の首と、秦に割譲すると偽った督亢の地図を持たせ、白い衣装と冠を着て易水の畔まで見送った上で、秦へと派遣した。しかし、荊軻は暗殺に失敗してその場で殺され、一連の事件に対して秦王は紀元前226年に事件の首謀者である丹を追討するために燕へと侵攻、首都薊が陥落した。燕王喜は一時遼東に逃れ、その後に丹を殺してその首を秦に差し出すことで許された。
白虹日(はつこうひ)を貫く=《「戦国策」魏策から》白い虹が太陽を貫いてかかる。白い虹を兵の、太陽を君主の象徴と解釈することによって、兵乱が起こり、君主に危害を加える予兆とされた。白色の虹が太陽を貫くようにかかる。「白虹」は武器、「日」は君主の象徴とされ、臣下の白刃が君主に危害を加える天象とされた
☆Comment
紫式部は漢の歴史書を読んで、源氏物語を構想したとおもわれます。作者の知識の基になった漢の歴史の一コマが紹介されています。そしてやがてくる源氏の不幸への伏線としています。
(この項つづく)
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