101人の大和魂 徳川綱吉②  生類憐みの令  犬食をしなくなった契機 | 社長力検定「後継者育成塾」

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 将軍は、下々の者と異なり、社会から隔離されて

養育されるため、一般人からかけ離れている者がいた。

綱吉のような、江戸生まれの江戸育ちは特に質(たち)

が悪い。
 綱吉は嫡男徳松が病死し(1863年)、その後

男子に恵まれなかった。事実、生類を憐れむ法令は

出されていたが、次の言葉によって増長された。

「戌年なのに犬を大事にしていないからだ」と母が

信心している僧侶から言われたことを真に受けたの

である。
 「黄門さまと犬公方」(山室恭子著)によれば、

生類憐みの令で処罰された69件中、13件が極刑に

なっている。特に犬を丁重に扱った。新材木町の半

兵衛が子犬を絞め殺した罪により、浅草で磔になって

いる。
 野良犬を5か所の「お囲い場」に収容し、総面積

は何と24万1716坪。東京ドーム18個分に

相当する。費用は3万8577両、現在価値3億

5000万を犬に費やしている。本末転倒、

人間よりも犬を大事にする、世にも稀な悪法

によって、幕府財政は火の車に陥る。家康の貯金は、

底をつく。
 この法令に唯一、異議を唱えたのは水戸黄門様

(水戸光圀)だけだった。光圀は、毛並みの良い犬

の毛皮20枚をそろえて桐箱に入れ、「上様も年をとった

ので、養生するように・・・」と手紙を付けて寵臣の

柳沢吉保へ届けている。綱吉は何ら反応しなかった

という。
 綱吉の時代までは、日本では犬を食べる習慣があり、

文献に残されている。信長の時代に来日したルイス・

フロイスは、「日欧文化比較」に日本人は、犬や猫の

肉を好んで食べると記している。
徳川三代将軍の時代に「会津藩家世実紀」に他人の家に

飼われている犬を殺して食べることを禁じている。

綱吉が将軍に就く頃までは、日本人は日常的に犬を

食べていたことが分かる。