東條英機をヒトラーのようにイメージしている
人がいるが、実像は全く異なる。
連隊長時代に「人情連隊長」と呼ばれ、慕われて
いた。帝国陸軍において、陸軍大佐の連隊長と兵士とは、
地位格差は天と地ほどの違いがあった。儀式の際には、
兵士は連隊長を100メートル以上離れて見るのが当たり
前、直接話しをする機会はない。当時、連隊長クラスは、
新兵に対し陰惨なリンチが加えられていることなど「お構
いなし」で、無関心な将校が多かった。しかし、兵卒として
入営する者の家庭を中隊長に訪問させ、家庭環境を
把握させている。入営すると、その資料を基に一人一人
と面接し、要望を聞き入れ、食事にも気を使った。
当然、リンチをご法度にした。
行軍演習の際、体力のない兵士には、短いルート
を歩かせ、落伍しないように配慮している。又、
除隊する兵士には再就職を斡旋するなど
気遣いの人であった。陸軍大臣になっても
宮中からは支払いをさせず、自ら賄った。
「情の東條」と「理の石原」との相性が悪く、
石原は最期まで東條を無能呼ばわりして
いる。
戦前の首相は閣僚の任命権はあっても
罷免権はなかった。首相兼陸軍大臣の東條には、
海軍に口出しできず、真珠湾攻撃を知らなかった。
独裁できない日本のシステムからは、到底
ヒットラーは出現しない。