江藤淳「自虐史観を解明」 | 社長力検定「後継者育成塾」

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大いに読書に励み、郷土を愛し、

世界へ羽ばたこう!

94年(平成6年)1月10日、江藤淳

が「閉ざされた空間」を文蓺春秋より

発表。本書は、GHQが

 

日本人の思想改造のために「WGIP」と呼ばれる

 

日本人に戦争に対する罪悪感を植えつける計画

 

実施を詳述している。民間情報教育局

 

(CIE)に設置された当該組織は、日本人全体に

 

敗北と戦争に関する罪を徹底的に植えつけることを

 

目的にした。

 

 アメリカは、日本が二度と刃向ってこないように

 

するために「祖国への誇り」と「肉親、同胞、郷土への

 

愛を破壊することを決めていた。日本人のアイデン

 

ティティを内部から崩壊させ、「精神武装解除」

 

を図るためである。

 

  マッカーサーの政治顧問付補佐官ジョン・エマーソンは、

 

1944年1月、米軍軍事施設団として、中国延安を訪れた。

 

そこで中国共産党が、野坂参三ら日本人捕虜に対し、

 

心理(洗脳)戦を仕掛け、成功している状況を目の当たりにする。

 

すなわち軍国主義者を批判し、国民に同情を向ける策略だ。

 

 この成功例を日本占領に応用し、あくまでも軍国主義者が

 

戦争を主導し、国民の苦難、窮乏はこの悪魔たちの仕業と

 

した。広島、長崎の原爆投下は、戦争を止めさせ、軍国主義者

 

から国民を解放するための正義の手段だったと解釈させた。

 

 昭和20(1945年)12月8日から17日にかけて、日本の

 

新聞各社に「太平洋戦争史」を掲載させた。さらにNHKに

 

「真相はこうだ」と言う番組で「南京の暴行」などを放送。

 

軍規正しく行動していたはずの「皇軍」が実は

 

残虐行為を繰り返していたという嘘報道に国民は

 

まんまと騙され、日本人は「祖国」を失っていった。

 

 「大東亜戦争」を「太平洋戦争」と言い換えさせ、

 

戦争のために傾注した膨大なエネルギーを一挙に

 

虚無化させた。また、現代仮名遣いとして、簡略化し

 

従来の仮名遣いを「過去の遺物」のように葬った。

 

「東京裁判」により、軍国主義者を裁き、

 

憲法9条により、「戦争放棄」させ、アメリカが

 

日本を守るとして、日米安保条約を結ぶ。

 

入江隆則によれば、アメリカが寛大であると

 

印象を与え、強制力ではなく、あくまでも自己批判

 

と言う形で思想改造をさせられたとしている。

 

マスコミもアメリカの片棒を担いだことから

 

今更正論が言えず、産経新聞を除き、敗者として

 

の日本を継続させている。彼らの好む「平和」「人権」と

 

いう言葉は、日本人のために使われず、「反日」

 

を増長するだけだ。愛すべき日本が抜け落ちている

 

からだ。

 

 人間は言葉で思考するので、新たな日本人が

 

生まれたことになる。このように戦後の日本人は、

 

戦前の日本人との連続性を切断され、「日本人」らしさ

 

をすっかり去勢された。江藤の「自虐史観」払拭

 

内容の書籍は、一般人レベルまで購買層が

 

広がらなかった。江藤のリダーシップは、

 

残念ながら未だ「WGIP」に勝利したとは言えない。

 

 今や「反日新聞」と揶揄されている朝日新聞が

 

 「日本人」として新聞発行していたことを紹介し、

 

 本稿を終わる。 昭和20年9月15日、17日付の

 

 新聞で、「原子爆弾使用などを非難」して、直後の

 

 18日から20日まで発行禁止処分を受けた。

 

  

 Q. 朝日新聞は、終戦の日(1945.8.15)に

 

    大東亜戦争の真髄、特攻隊精神の発揮等を

 

    どのように称賛したか?

 

 A. 「国民性の美果」として大和魂を褒め称えた。

 

         朝日新聞が「赤日新聞」になったのは、

 

    20年10月24日、全役員が辞任し、長谷部忠が

 

    社長に就任したことに始まる。

 

    森恭三が論説主幹になった昭和39年(1964年)以降、

 

   左翼傾向を強めていく。彼は、「毛沢東万歳」と言う立場

 

   を鮮明にして、自らを共産主義者と明言した。