武田信玄は、「人は城、人は石垣」という言葉を遺すほど
人材の大切さを肝に銘じていた。常に家臣団を思い通りに動かす
ことに知恵を絞っている。
ある時、敵陣へ向かったはずの岩間大蔵左衛門と言う家臣が
陣地に戻ってきた。何と馬が臆病の岩間を見限り、敵前から
引き返したようだ。武士らしくない岩間をクビにしようと重臣が
進言したが、信玄は「使いみちはある」と受け入れなかった。
これ以降、信玄は岩間を館の留守居役を命じた。館を丹念に
清掃し、又家臣の細かな情報を逐一進言に伝えた。「総務部長」
としての役割を立派に成し遂げたのである。
Q. 信玄は、当時としては珍しい勤務体制を敷いた。
家臣たちは、どのように登城したか?
A. 「フレックスタイム」を導入し、朝、昼、夜と都合の良い
時間帯に勤務する体制を整えた。