寄居町から徒歩約10分のところに鉢形城がある。
荒川が大きく蛇行する角地に高さ30メートルほどの
小高い山全体が鉢形城址である。山の形が、冑の
頭の上を覆う「鉢」に似ていることから名付けられた。
植木鉢の「鉢」ではない。
1590年、豊臣の軍勢に攻められ落城したが、
甲州の敗残兵が寄り集まって居た(来た)ことから
寄居という地名になったという。
Q. なぜ、鉢形城には落城後も敗残兵が集って来たか?
A. 豊臣方は、小田原城の落城を最終目標としていたので、
鉢形城を北条氏邦が明け渡した後は、「避難所」として
開放したと思われる。