万国阿片条約あるいはハーグ阿片条約(英語: International Opium Convention)は、
1912年1月23日,オランダのハーグで開かれたハーグ国際阿片会議で調印された初の薬物統制に関する条約である。アヘンをはじめモルヒネやコカイン、またそこから誘導された薬品また同等の害毒を起こすものが条約の統制対象となった。1909年2月の上海国際阿片会議において9条からなる議定書を決議する。1911年からの1912年にかけてのハーグにおける国際阿片会議にて条約が調印され、1919年のヴェルサイユ条約を通して批准され、1924年から1925年にかけてのジュネーヴ国際阿片会議にて、大麻製剤(チンキ)を追加し条約を補足する協定が作成された。
第二次大戦後、国際連盟は解体され、1946年(昭和21年)の「麻薬に関する協定、条約及び議定書を改正する議定書」を経て、1961年の麻薬に関する単一条約に万国阿片条約は引き継がれた。
条約にむけて、国際的な取り組みが始まったのにはいくつかの背景がある。アジアは帝国主義の諸国による植民地化が進み、イギリスは中国にアヘンを輸出、これにより中国におけるアヘンの使用が拡大していた(関連:アヘン戦争、アロー戦争、三角貿易)。諸国の植民地や本国において、清国末期の動乱に伴う移住及び移民に伴い彼らのコミュニティーと接触する機会が増え、アヘンの使用は中国人が移住した土地にも広がりつつあった。また、各国ではアヘンの害悪が知られるようになり、反アヘン運動が高まっていた。これを背景に、アヘン貿易は重要との認識があるもののアヘンに対する危機感が高まっていた。