昭和7年(1932年)1月8日・桜田門事件 | 社長力検定「後継者育成塾」

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桜田門事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


桜田門事件
事件現場(×の地点に爆弾が投擲された)
事件現場(×の地点に爆弾が投擲された)
場所 日本の旗 日本 東京市 麹町区 皇居 桜田門
標的 昭和天皇
日付 昭和 7年(1932年1月8日
午前11時44分頃
概要 犯人は麹町の交差点角で待ち伏せして襲撃したが、手榴弾を投げるべき馬車を間違えた。爆発も馬車に軽微な破損を与えるに留まり、暗殺 は失敗した。
攻撃人数 1人
武器 手榴弾
死亡者 なし
負傷者 近衛兵 1名(軽傷)、馬2頭が怪我
損害 宮内大臣の乗った御料馬車を破損
犯人 李奉昌
関与者 韓人愛国団
対処 大逆罪 で有罪、死刑 が執行された。
管轄 警視庁大審院

桜田門事件(さくらだもんじけん、正字体:櫻田門事件)は、

昭和 7年(1932年1月8日 に起きた昭和天皇暗殺 を狙った

襲撃事件.。四事件ある大逆事件 の一つ(最後)である。

犯人は朝鮮 出身者の李奉昌 で、天皇 に危害を加えよう

としたかどで大逆罪 に問われ、死刑 となった。

李奉昌大逆事件とも呼ばれている。


概要

昭和7年(1932年)1月8日、陸軍始 観兵式 のため、行幸 が行

われていた。午前11時44分頃、行幸 の帰りに、皇居桜田門

の外、麹町区桜田町警視庁 庁舎前に通りに差し掛かった

馬車に対して、突然、奉拝者の線から沿道に飛び出した男が

手榴弾 を投げつけた。

狙われた馬車は第二両目の御料馬車で、宮内大臣 一木喜徳

郎が乗車するものであった。手榴弾は左後輪付近に落ちて炸

裂し、馬車の底部に親指大の2、3の穴を開けた。手榴弾は威

力が小さく、馬車と隊列はそのまま進んで午前11時51分頃、

皇居内に到着した。後に破片で、騎乗随伴していた近衛騎兵

1人とその乗馬と馬車馬の馬2頭が負傷していたことがわかった。

昭和天皇は第三両目の御料馬車に乗車しており、手榴弾はそ

の32メートルも前方で炸裂。車内にあって音を聞いた程度だった。

奈良武次 武官長が陪乗していたが、天皇は極めて冷静沈着で、

帰還後も事件について何ら言葉をかけることもなかったという。

即座に取り押さえられた李奉昌

襲撃者は一名で、警視 石森勳夫、巡査 本田恒義、

山下宗平、憲兵 河合上等兵、内田軍曹の五名に

よって即座に逮捕 された。犯人朝鮮 京城 生まれの

李奉昌 という人物で、朝鮮独立を目指す金九 が組織

した抗日 武装組織・韓人愛国団 (大韓僑民団)から

派遣された刺客であった。


この事件は大逆罪 (刑法第七十三条)に該当し、大審院

特別権限に属するということで早急に審理された。

9月30日 午前9時15分、大審院大法廷において和仁裁

判長は特別裁判の被告李奉昌に刑法第七十三条に

よる極刑を言渡した。10月10日死刑 が執行された。