1941年12月25日・イギリス領香港総督が日本に降伏 | 社長力検定「後継者育成塾」

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1941年 12月25日 、イギリス領香港総督 が日本に降伏した。

日本ポツダム宣言 受諾による降伏までの1945年 8月15日

の3年8ヶ月間にわたる日本統治時期を香港では「三年零

八個月」と呼んでいる。



背景

降伏交渉を行う日英両軍の将校
香港に入城する日本軍

1941年 12月8日大日本帝国陸軍イギリス領マレー半島

への攻撃により太平洋戦争大東亜戦争 )が勃発すると、

イギリスやオランダアメリカ など東南アジア に植民地を

持つ国々に宣戦布告した日本は、イギリス軍の極東の

要衝であった香港攻略作戦を実行した。酒井隆 中将

揮下の第23軍 による香港の戦い である。日本軍は九龍

半島の要塞地帯ジン・ドリンカーズ・ラインを突破し、

12月13日 には九龍半島を制圧した。地の利を生かした

ゲリラ戦法をとるイギリス連邦 軍の香港島 内での抵抗に

当初日本軍は苦慮したものの、12月25日 、イギリス軍は

降伏し(暗黒のメリークリスマス)、香港は日本軍の軍

政下に入った。


香港を占領した日本軍は、イギリスの香港政庁 に代わる

香港軍政庁ザ・ペニンシュラ香港 に設置した。その後、

磯谷廉介 陸軍中将が香港総督 として任命され、香港占領

地総督部香港上海銀行・香港本店ビル に設置し「民政」

を実施していく。日本から多くの高級官僚が送られ、総督部

の主要ポストの多くは日本人が占めたが、華人も下級官僚

に就くことができた。