参勤交代 | 社長力検定「後継者育成塾」

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戦国時代には戦国大名の一部は自身の居城の城下町に服属した
武士を集めるようになり、豊臣秀吉大坂城聚楽第伏見城で支
配下に服した大名に屋敷を与え、そこに妻子を住まわせたことから
全国的な参勤制度の原形ができあがった。


寛永12年(1635年)徳川家3代目将軍徳川家光が『
家諸法度
』を改定したことによって諸大名の義務となっ
ていった

この制度により諸大名は一年おきに江戸と国元を往復することが
義務となり、街道の整備費用に始まり、道中の宿泊費や移動費、
国元の居城江戸藩邸の両方の維持費などにより大きな負担を
強いられた。これにより諸藩の国力低下につながり、徳川家が支
配する長く戦争のない江戸時代が確立されていくのである。
元治2年(1864年)、大政奉還による江戸幕府消滅と共にこの制度
は姿を消した。

参勤交代の準備は半年以上も前から行われ、予算の調達に始まり
他大名の宿泊の重複がないか偵察の者を出すことから始まる。
徳川御三家や幕府の役人や勅使、他の大名行列などに気を遣い
なるべくすれ違わないように旅行程の調整だけでなく宿代の交渉
等々その準備作業は多岐にわたる。「金沢板橋間駅々里程表」
という資料では、石川県金沢市東京都板橋間に宿泊の可
能性があるすべての宿場町までの距離をダイヤグラムのように
記されており、そのような状況下でいかに少ない予算と労力で
江戸にたどり着けるか知恵を絞りぬいた苦労が見て取れる。

予め幕府へ届出を出した期日までには江戸に到着しなければな
らなかっただけでなく、遅延が一日発生するだけで現代の貨幣
価値にして数千万円から数億円相当の損失につながるため、い
かなる理由があろうとも決められた日付までに江戸に到着しなけ
ればならない事情があった。

現在、「超高速!参勤交代」が上映中だが、最後に将軍と藩主が
酒を酌み交わすシーンがあるが、実際将軍さまと弱小藩主が1対
1で酒を飲んだりしたか疑問である。このシーンを入れるならば、
「老中の特別の計らいで・・・」という場面を設定すべきだった。
時代考証をしっかりすべきだ。