「子どもたちには「成功=シアワセ」になってもらいたいですか?」
こう問われたとしたら、
大多数の両親は「イエス」と回答するでしょう
けれども、それでは本当に、
「子どもたちが「成功=シアワセ」になることをしているのですか?」
と聴かれたらどうなのでしょうか
もしも
「子どもたちには、「成功=シアワセ」になってもらいたいですが、
どういう状態が、「成功=シアワセ」なのか漠然とした状態ですし。
目標といえるものも、まだ何も決まってません!」
・・・としか回答できないのだとしたら
それは、
両親が子どもたちのことを何も考えていないのとイコールと言えるでしょう
適当な考えからは、適当な結果しか得られません
子どもたちの将来をなんとなくしか考えられない
両親の元で生まれ育ってしまった子どもたちが、
22歳を迎えた後、素晴しい状態で社会で大活躍!
・・・なんてことはまず起こり得ません
子どもたちの将来の「成功=シアワセ」を真剣に願えるのは、
世界で唯一無二、子どもたちの両親だけです
子どもたちの「成功=シアワセ」を願っていたとしても、
その「成功=シアワセ」の形に到達できるとは限らないのに
そもそも願っていないとしたら、
間違いなく子どもたちが「成功=シアワセ」になんかなれるわけがありません
「子どもたち人生は子どもたちのものだから、子どもたちが決めれば良い」
なんて言うのは、「放置」という名の虐待でしかありません
適当にしか考えていないし、適当にしか行動していないのに、
子どもたちが大切であり、子どもたちのことを考えているフリは
もう、いい加減、やめにした方が良いです
今の延長上のままでは、間違いなく子どもたちの
「成功=シアワセ」な状態など待ち受けてはいないのですから
現実の無策な状態を受け入れ、気持ちを新たに切り替えて、
本当に、真剣に、子どもたちのことを考え子どもたちが
「成功=シアワセ」になるために考え、行動しなおした方が良いと思うのです