地球上に生きる人間であれば、
誰しもに与えられた「時間」は平等
1分60秒、1時間60分、1日24時間、1年365日
老若男女問わず、全員同じなのです
けれども「体感時間が違う」という落とし穴があったわけです
脳と身体、急速な成長過程にある子どもたちは、
同じ時間あたりの物事の学びのスピード、
吸収量が、大人と比べて桁違いなのです
例えば、大学受験を目的とした受験勉強
実際は何歳になっても受験勉強は可能ですし、
何歳からでも大学合格を勝ち取って大学進学&卒業は可能
しかし、受験勉強では、大量の情報を短期間で学習し、
記憶したり理解したりすることが求められますが
全く同じ時間机に向かい
全く同じ量の教科書や参考書を使って勉強に励んだとしても
大人は時間の流れが早く感じ時間あたりの密度が薄い
子どもたちは時間の流れが遅く感じ時間あたりの密度が濃い
子どもたちの方が、
新しい情報を取り入れ脳内で処理する速度が圧倒的に速く
同じ時間を費やしても、
より多くの量を沢山吸収できるのです
子どもと大人では、
新しい情報を学び取るための深度も広がりも全く違うのです
これは受験勉強に限ることなく
習い事、スポーツ、趣味などの各種活動に関しても同じことが言えます
0歳〜2歳スタート
2歳〜6歳スタート
6歳〜15歳スタート
15歳〜18歳スタート
「早期スタート」であればあるほどそれだけで圧倒的に有利になる
これを無視して、既に大人になってしまった両親が、
大人の時間軸で
「明日からやろう・・・」
「来月からやろう・・・」
「1年後にやろう・・・」
「5年後にやろう・・・」
と「英才教育」の取り組みを先延ばしにすればするほど
子どもたちは、その何倍もの時間を無駄に浪費し続けることになる
致命的な程に、
もったいないことになってしまうという事実から目を背けられないのではないでしょうか
これを考慮すると、
両親による「英才教育」の先延ばしは、
「虐待である」と言っても過言ではないかもしれません