我らの義 イエス基督
[エレミヤ書 23:6]
彼の時代にユダは救われ、
イスラエルは安らかに住む。
『主は私たちの義』。
それが、彼の呼ばれる名である。
観察
昨日の通読箇所では2列王記だったので、その時代にあった主のことば。
ユダの王エホヤキム、その息子エホヤキンあたりか。そろそろユダ王国の完全な滅亡が始まる。
この言葉は前節からつながるキリスト預言の一部である。
荒廃と裁きの後、さもリセットボタンを押した後のようにキリスト預言が始まる。
神の裁きの後は回復である。
マナセ王は痛い目に遭い、悔い改めた生活をして主に赦されるが、彼のしてきたことのゆえに、マナセ王の悪い時代に浸透させた異教の悪い風習、文化を国民は捨てることができなかった。マナセは悔い改めることはできたが、その取り返しのつかないことのゆえに国は滅ぶことになった。
しかし、神の愛は変わらずキリスト預言が始まる。
【私たちの義】が神の名前の一つ。
キリストが義である。
神に良し!と認められることである。
どんな悪人も義であるキリストを知り信じて生きるときに義の生き方に変えられる。
私の経験からすると、まずは感謝が溢れ出すはずである。
適用
約束を保護にして増税をするという岸田総理や自民党に文句を言う前に、政治のために祈ること。政治家のために祈り正しく国の舵取りができ、信頼のおける人物になることを。
主の裁きの目的は回復である。
悔い改めの実を結ぶべく忍耐し、主を待ち望むこと。
誠実と公正を愛して生きること。
祈り
[エレミヤ書 23:29]
わたしのことばは火のようではないか──主のことば──。岩を砕く金槌のようではないか。
私と、その群れにあなたのことばの火を降らせ、火と聖霊のバプテスマをくだし、臨在ください。岩をも砕くあなたの言葉を求めてデボーションしています。親しくあなたと交わることを楽しむ人にあなたの力を注いでください。アーメン