義憤の処理の仕方 詩篇101:5 | 進藤龍也牧師のヤクザな日記

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義憤の処理の仕方

詩篇101:5
陰で自分の隣人をそしる者を、私は滅ぼします。
高ぶる目と誇る心の者に私は耐えられません。

観察
ダビデの賛歌
ダビデの祈り

適用
祈りは正直であるべきだ。
神には何も隠せない。
心の動きも全て知られている。
怒りが全て悪いのではない。
義憤と言い、神の目線に立つ、義の怒りもある。
しかし、その怒りの処理の仕方で正しい怒りも、正しくなってしまうのだ。

ダビデのように義憤を神にぶつければ良い。
陰でコソコソ根回しするかのように、人を悪く吹聴する者にダビデは義憤を感じている。(愛があるなら直接、本人と話すはず)その不正への怒りを神にぶつけている。そして、神の裁きに信頼しているのだ。若い時から、神に信頼し続けたダビデは、長寿を全うし、姦通罪、計画殺人の罪もあったが、神の恵みで忘れてもらい、良い王様としての今後の基準となり、子孫にイエスキリストがお生まれになる特権をいただく。

神に信頼をおくという訓練を私たちクリスチャンは、人生の中でたびたび通る。
この訓練を通して成長し、神に近づくのだ。

祈り
神と人との前に潔白であることをいつもヨブのようにありたいです。
神を正しく理解し、畏れることに、安心と喜びと信頼をもたらせてください。
連れの一人一人も、そうなりますように。