「自分自身の聖別」 2歴代誌29:5 | 進藤龍也牧師のヤクザな日記

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「自分自身の聖別」

2歴代誌29:5
彼(ヒゼキヤ王)は言った。
「レビ人たち。聞きなさい。今、あなた方は自分自身を聖別しなさい。あなた方の父祖の神、主の宮を聖別し、聖所から忌まわしいものを出してしまいなさい。


観察
先代の父アハズ王は霊的姦淫を犯し、ユダ王国を迷わせた。その甲斐?もあってか、この時代のエルサレムの神殿の中には多くの偶像が安置されていて、様々な偽りの神、悪魔礼拝がなされていた。このことをエゼキエルも警告している。レビ人とは言え王の影響をもろに受け、偶像礼拝をしてしまう。

適用
信仰リバイバリストのヒゼキヤ王は、その治世の第1年にこの大改革を行った。
このリーダーシップは凄まじい。
現代で言うなれば、洗礼を受け、その年のうちに家の仏壇や神棚を撤去したようなものである。
私は3年ちょっとかかって、お袋に伝道し、仏壇と位牌を少しずつ撤去した。(悪霊を縛り付けて燃えるゴミ)

霊的姦淫は偶像礼拝だけではない。
神以外を慕い求める、貪りの霊でもある。この世の神と言われる代表的なものは経済の神マモンである。この世は確かに経済で成り立っている。が、この経済を握るものが多くても少なくても、自分自身のために握っていたら、偶像礼拝なのだ。貪りの霊なのだ。

世の経済界を牽引してきた偉大なスーパースターの中には、カーネギーのように聖書を土台とした生き方で世の中を良くしてきた偉人たちがいる。この世の神に屈しなかったのだ。

また、心の中の「忌まわしもの」を取り除かなくてはならない。
怒り、不満、妬み、赦さない心、などなど神のみ心を現すものではない感情を処理すること。
感情そのものは付いて回る。
感情も神が造られたのだ!
その処理、対処が問題なのだ!
どうやって処理するか?
十字架適用である。
十字架とは「忌まわしいもの」と、「良いもの」との交換なのだ。このことを知らないことは損失だ。

祈り
北イスラエルは中東の下剋上とも言える、家臣たちの反逆などで何度も王朝が変わりました!それはヤロブアムの罪の道を離れなかったからです!それと比べて、南ユダは、悪い王様の中にも神は度々リバイバルをもたらす王様を送り、ダビデ王朝を守られました。同じように私の心も、悔い改めの心で祈ることで私を赦し、立てあげてくださって今があります。感謝します!これからもあなたがしてほしいことを、行うものにさせてください。アーメン!