これはもう自分にとってはただの過去の記憶です。
でももしかして、今から子連れで海外赴任になる人や私と似たような体験をした帰国子女や海外子女がいるかもしれない。誰かの参考になれば(?)よいのですが。
なんてことない体験談ですが、書くだけ書いてみようかなと思います。一回で完結できる簡単なものではないのでネタが尽きるまでは連載形式で書こうかと考えています。誰も読まないであろうことを承知の上で(笑)
では・・・
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帰国子女と聞いて人は普通どんなイメージをいだくだろうか?子どもの頃、外国に少なくとも4年くらい、長かったら10年、15年住んでいたことがあり、外国語に堪能、外国かぶれしている、など様々なイメージがあるだろう。
最近ではまったく珍しい存在ではなくなってきているはずだ。バイリンガルなんて世の中にワンサカいる。ハーフ、ハーフと呼ばれる人たちだって全然珍しくはない。
しかし残念なことに、誤解したままの人は未だに多い。
”帰国子女なら英語が話せて当たり前。入試では帰国子女枠で入れて楽している。”
”ハーフなんて生まれながらにして苦労なしにマルチリンガルになれてずるい。”
確かに生まれた時から外国に住んでいる子供は現地語では苦労は少ない。でも日本に帰国したときの苦労をご存じだろうか。通ったことのない学校システムにいきなりほうりこまれるのだから大変なことであることは間違いない。
親が日本でない国出身の人だからと言って苦労しないでマルチリンガルになれるのか。本人の頑張りを始め、家族の熱心なサポートがない限り、まず不可能といってよい。
では日本で生まれ、ある程度日本で過ごしてから海外へと渡った人はどうか。
これは私の帰国子女(もどき)としての体験談である。もどきと書いたのは、数年間しか滞在しなかったからだ。10年滞在した人からしたら甘ちょろい。それでも私は周りから「帰国子女」という見えない枠に入れられてきた。自分から何も話さなくても、結局はその枠に入れられてしまうのである。
私が小学2年生の秋、母親に言われた。
「もしかしたらね、3年生になる前にみんなとお別れしないといけないかもしれないの。」
私は、引越しか、なんだ前にも何回か引越ししたことあるじゃない、くらいに思っていた。しかし、引越しといっても近場ばかりであり、転校したことなど今まで無かった。
「遠いの?」
母親に聞いた。すると母はこう答えた。
「アメリカっていう、日本から遠いところなの。いい?もしかしたらよ。」
もしかしたら・・・引っ越さないかもということか。3月になりアメリカ行きが決定した。友達と離れるのは絶対嫌だと駄々をこねまくった。無駄だと分かっていた。でも悲しかった。怖くもあった。アメリカってどこ?遠いことだけは確かだった。こうして私は一家でアメリカへと渡ることになったのである。
