目的と手段は別物 | Living with little girls …絵本をよんで、おやすみなさい… in 香港

Living with little girls …絵本をよんで、おやすみなさい… in 香港

インターで英中を学ぶ姉妹(2012.12/2017.3)の記録。バイリンガル育児での発見や驚き、迷いなど。のんびりやで読書家の長女(ピアノ)とワールドワイドな愛嬌を振りまく次女(バイオリン)。#帰国子女受験 #海外で子育て #香港でおでかけ

 

今週もお疲れ様でしたー!あっという間に9月ですね。

 

このところ、多数の人と同時並行的にやり取りする機会があって、

 

・欲しい答え以上のものをくれる人

・気持ちよく対応してくれるが、若干的外れな人

・コンタクトはとってくるが、何の実もない人

 

と、なんだか社会の縮図をみるグラサン

 

 

結局、手段と目的って別なので、そこを履き違えると下の2つの型になってしまうんですよね。はじめに目的を掘り下げないことには、新たな手段もお門違い。

 

 

さらに仕事関連で、タレンティッドな人と接点があり、才能についても考えていたのですが、安野党首の妻で、文藝春秋の編集者であるりなくろさんが「人気作家さんは、才能がだだもれている」とおっしゃているのは、はぁなんか分かるなと。自分でコントロールできるレベルの力は才能ではないのかも。

 

凡人は粛々と、できることをやらねばですニヤリ

 

・・・・・・

 

それと最近ちょっと思っていることなんですが…(珍しく愚痴です)

 

私は基本せっかちで、怒りの沸点もかなり低い方なんですが、文章に怒りをのせるのはなぜかできないんです。イラーっとしても、書いている時には割ともうどうでもよくなっていて、波風立てない文章になる。

 

でも、時々、え、なんでこんなに「私があっていて、あなたが間違っている」型の文章が書けるのかな?という人がいて、そういう文章を受け取るのは単純に迷惑だなと思います。。日本特有のわかってくれて当然文化なのかな?


あんまり英語のtextで怒ってる(私の怒りは正当だ!)ってなっているのあんまり見ないんですよね…痛快とか、皮肉きいてるね!とか、反対に、とんちんかんだなってことは、まあまああるんですが。私の場数の問題、技量の問題か驚き

 

 

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