液晶自販機 | Living with little girls …絵本をよんで、おやすみなさい… in 香港

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インターで英中を学ぶ姉妹(2012.12/2017.3)の記録。バイリンガル育児での発見や驚き、迷いなど。のんびりやで読書家の長女(ピアノ)とワールドワイドな愛嬌を振りまく次女(バイオリン)。#帰国子女受験 #海外で子育て #香港でおでかけ

今朝、通勤の電車途中でふとホームを見やったときに
「液晶自販機」があり、なんだか深く考えさせられることになりました。

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ひとつは、従来の自販機用に模型のペットボトルを作っている会社は
どうなっていくのだろう、ということ。
もうひとつは、ものづくり大国といわれた日本が「ものレス社会」に見出す活路って
どこだろう、ということ。

電子書籍の開発や音楽配信形態の変化も同じことなのですが、
あらゆるものが有形から無形に向かっていますよね。

そのこと自体の是非に議論は不要で、流れは流れとして
商機ととらえることだけが生き残りのために必要なのだと思うのですが、
一点そこで価値観の転換も行っていかねばならないのでは、
というのを最近強く思います。

というのは、一般に、人(会社)は有形のコストには敏感で、
無形のコストは0にできると考えがちではないですか?

例えば上の例でいくと、
ペットボトルの模型が300円だったとして、それを買うのはみんななんとなく
理解します。
けれど、電子画面に表示するペットボトルを300円で買うでしょうか。
別に材料費かかってないから、高いって思いますよね。

恐らくこの自販機の販売モデルは、最初は普通の自販機より
価格帯を高く設定しその代わりランニングコストがかかりません
というパターンになるでしょう。

そこで、その価格帯いくら高くすべきか、というのが問題です。
まず液晶画面と機能代、次に新モデルのアイディア料、
そして画面表示のメンテナンスに関わる人々の人件費などが続きます。

しかし、高くて誰も買ってくれないということになると、
どんどん価格帯が下がります。
現状は厳しいもので結局従来の自販機と価格はそう変わらないものを
要求されます。
買う人も、乗り換えっていっても設置とか大変だし、とか言うわけです。

すると、事実上
液晶画面を提供する会社は低い価格での提供を余儀なくされ、
無形のコストはあまり意識されなくなります。
そして、のっとられたペットボトル模型作り会社は
販売量が下がると同時に一個あたりのコストも高くなり
この業界でやっていくのは難しくなります。

まだ社会人4年目ですが、失われた20年の中で
この負のスパイラルが重い足かせとなっているような気がします。

無形のコストとはアイディアであり、知恵であり
最終的には人件費です。

無形のコストに価値を認めさせ、金銭を受けとることが
日本の企業にとっての最重要課題だと思います。

今日は真面目なお話でした。


※この例はあくまでたとえであり事実に基づくものではありません。