孔子「学んでも考えなければ審理を見失う、

考えても学ばなければ危うい。

先生がその弟子たちを教えるのは
才能より品性が大切であり、
理智よりも霊性を正し、

それを正し、


それを発達させる事を
目的
としていたもので

ありました。

ために、先生としての任務は、

神聖な性質を帯びているもの

されていました。

我を生み給"たま"えるは父母、
我を人となし給えるは師なり。」


こうした観念がもたれていた為に
人の師たるもの、受けた尊敬は
非常に深いものがありました。


青年子弟から、こうした信頼と
尊敬とを払われている人は
必ず、卓越した人格者であるとともに、
学識をも兼ね備えていなければならなかった!
p151

新渡戸稲造「武士道」”GHQ禁書”より

 

 

 

現代↓

 

 

 

 

久しぶりです。難しい記事ばかり

完璧にこなそうとするから

段々億劫になって書けなく

なってしまって放置してました。

 

 

 

新渡戸稲造「武士道」から

切り抜きですが、

 

教師のひどい不祥事なんて

昨今本当に多いですが、

戦前頃の先生は

立派だったんですね。

 

これを壊したのは

GHQとされています。

 

見下していたアジアの

小さな島国、日本の

強大な強さを知って、

その精神力に恐怖し、

 

2度と立ち上がれないよう

精神性を徹底的に

破壊したのです。

 

私がこの本ではっとしたのは、

 

>理智よりも霊性を正し、

>それを正し、


それを発達させる事を
目的
としていた

 

ここです。神道、仏教、

現代人のいけない所は

ここを切り離されてしまって

 

物質的な事、頭でっかちな

単なる道理理屈ばかりに

なってしまい、

 

神聖な部分が

欠落してしまっている。

 

=心が抜けている。

 

=アイデンティティーの喪失。

 

 

それでは人は

従わなくなるのではないか?

 

ましてや子供は

感覚的に人を

かぎ分けるから

 

最悪学級崩壊とか

起こるのです。

 

 

で抑え込むと、

制圧する事で人の

理解は

得られませんから

子供の制御が

利かなくなるのです。

 

 

昔の教師がすべてが

そうではないかもしれませんが、

 

しかし

少なくとも神聖な空気を

まとった本当の威厳がある、

 

現代よりも立派な高い志の

先生が昔は沢山いて、

 

ただ教育熱心ではない

神聖な役割の先生が

子供たちの心を育てていた、

というのが

事実だと私、思います。