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あなたの子どもを助ける方法

<割りばし事故>医師、2審も無罪 東京高裁

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081120-00000067-mai-soci

11月20日15時43分配信 毎日新聞


 まず、最初に、子どもが病気になったにしろ、ケガをしたにしろ、一番重要なことは、


「元気かどうか?」


 つまり、「機嫌」と、「周りへの反応」がいいかどうか、ということです。


 その判断は、医師よりも、普段のその子を知っている親の方が正確かもしれません。


「ぐったりしている」


 なら、何かおかしいのです。


 誠実に診てもらえていないと感じるなら、その医師と議論しても、後で訴えても子どもは助かりません。


 医師はマクドナルドとは違い、判断も処置も一人一人違います。


 すぐに他の病院を受診しましょう。


 逆に、怪我をしてすぐ泣いたり、医師の白衣を見て泣いたり、表情がよく動くときは、あわてて救急車を呼んだりする必要はないことが多いです。


 ましてや、いらないCTやレントゲンを撮ることは、将来、子どもが癌にかかる確率を高める恐れがあります。


 またもや、医療を、さらにダメにする判決が出てしまった。


 医師の多くは、ホッとしているだろうし、私も、判決自体については、そんな気持ちも完全には否定できない。


 しかし、判決の内容には、まったく同意できない。


 こういう判断の仕方を変えることこそ、日本の医療を変えることだと思う。


  医師の責任と権利は、誠実に患者を診療することだけにある。


 患者が助かったか、後遺症が残ったかという結果ではなく、自分が誠実だったかどうか、に責任があるのだ。


 マスコミ報道も、世間の論調も、判決も、そこをまったく履き違えている。


 この事件の場合、


 被告が隼三ちゃんに問診するなどの措置を取らなかったことについて「医師として基本的、初歩的な作業を怠った。サインを見落とし、真摯(しんし)な医療を受けさせる機会を奪った」


 ことは報道の通りならば、仮に患者が実際に軽症であった場合でも、医師として許されない。


 一方で、隼三ちゃんの死因については「割りばしが頸(けい)静脈に突き刺さったことによる静脈還流障害である可能性が高い」と判断。過失と死亡の因果関係について、「頸静脈の修復が唯一の救命措置だったが、すぐに脳神経外科に引き継がれていたとしても、救命できる可能性は技術的、時間的にみて極めて低かった」


 ということは、医師が実際に行った診療の妥当性とはまったく関係ない。


 この判決では、もし、逆に、医師がちゃんと問診して診察して、患者が元気で異常所見がなく、CTはいらないと判断して帰したとしても、患者が死亡し、後から考えて助ける方法があったのなら、有罪にされてしまうことになる。

 そうとがめられるなら、救急医療で人間ドックを施行して帰さなくてはならなくなり、事実上、どこも救急患者を受けられなくなる。


 そして、儲け目的に無駄な検査を行う病院ばかりが肥え、医療費負担と放射線被爆による新たな病気が静かに増えていく。

(全発癌の2%はCTの被爆によるという論文や、国際放射線防護委員会の基準によると、日本では医療被曝により毎年13500人が死亡するという試算があります)


 医師にできることは、その時、その人に、誠実に、自分の最善をつくすことだけだ。


 しかし、マスコミも判決も、この事件についても、妊婦の死亡事件についても、患者が死亡したという結果ばかりを問題視する。


 医療の担い手が全力を尽くしたかどうかではなく、仮に実体のない「正しい医療」をしたとしたら助かったかどうかが、判決理由になる。


 まるで、野球のバッターが空振りしたとき、後から考えて、架空の「理想のバッター」だったら打てたか?打てる球だったか?を判決理由にしているようなものだ。


 おかしいことに気づかないだろうか?医師が同じような状態の患者に同じ診療をしたとしても、その後の結果により有罪だったり無罪だったりするのだ。


 全力を出しても訴えられかねないから、医者は救急車を受けられない。患者よりも自分を守るために、いらない検査を行い、自分も患者もぼろぼろにしてしまう。


 評価の基準を変えなくてはならない。

 ここを変えれば、医者はずっといきいきと、本気で誇り高い医療をできるようになる。


 判例を重視する司法が変わることはすぐには期待できないから、どうか、これを呼んだ皆様の視点だけでも、少し変わってくれたら、と思う。