For My Dear 。 -3ページ目

 For My Dear 。

清 思 苦 慕 或 将 去 , 但 念 君 心 似 我 心 。

明日はまた朝のバイトで


今日はぎりぎり小説を書こうと思いきや、


人人で泰山が火事になったというみんなのメッセージがみえたんだ!


まじですか・・


写真もいっぱい出てきたんですよ


いやん。


ふるさとの泰安のみなさんも心配しています!


泰山のうえの神様たちにお願いします!


無事になるのを心より祈っています!


 For My Dear 。

昨日は孫さんと清水寺に行った、


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原因は・・地主神社へ行きたかった!




清水寺は初めてなので、




高い山の上にあるのは全然知らなかった、




ずいぶんたかい靴で行った(ノДT)




山を登る途中、なんとなくこの道は歩いたことあるような感じしてた




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孫さんに「ありゃ、この道どこで見たことある気がする」ってゆって




孫さんは「よく思い出してみ?」といって




ボクは周りをよく見てみ」といって




思い出した!




それでそんさんに「こりゃ、88病院の後ろの道とそっくりやな!




高校のとき、戦争の中で死んだ軍人の墓地へ行くときいったことあるわ!」って






まずまず清水寺に近づいて




この親切感が妙にふえちゃった




そして孫さんに「ここは・・」といって




一生懸命の「妙な親切感」の源を思い出そうとしてた




やっとやっと!




思い出して孫さんに「こりゃこりゃ!うちの大泰安とそっくりじゃん!




ほら、この道、泰山に登る道とよく似てるだろう




天外村から紅門までのところ」と言って




孫さんもよく思い出して「あ!」と叫んで「確か!よく似てる!」って言ってくれた




なるほどこんなに落ち着いてたと思った(笑)


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お寺の中もなんとなくボクのふるさととよく似て、すごい親切な感じが出た




特にお寺の中に燃えてる香の香り!




こんな香日本ではあんまりないが




うちのふるさとでは神さまには必ずこのような香りで奉仕するから




ボクはなんとなく子供のころからこんな香が大好きだ




原因はわからないが




お寺とかから通り去ると、必ず頑張って吸う(笑)



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やっと地主神社に着いた



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お守りもかって



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神さまにお願いした(*^o^*)




ひくじをひて




「吉」が出たんだが




「今の状態になる限りです。大きな目標を達成するために激しく進んだら




かえって悪い結果になるかねない」ってことも書いてあるから




すごく受け身の感じで




あんまりいい予感がしていなかった




まえ、北野天満宮で引いたみくじも




「待ってる人が来ても遅れます」って書いてある




でも恋愛について「お互いに相愛する敬意を忘れずに神さまに祈れば成就」って






昨日は孫さんと一緒に朝6時のバイトを入って




11時に終わってから、かなうでご飯を食べて、




それからすぐ清水寺に行ったんだ




朝からごはんを食べず、ずっと昼までラーマンしか食べなかったから




お腹はずごくへってしまった




それで!!




夜は焼肉の食べ放題!




いっぱい食べた(笑)




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夜は三条橋で頑張って歌を歌ってCDを売るお兄ちゃんにあっちゃった

感動しちゃって、「頑張ってください」と言いながら買っちゃったの

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明日はまたコンビニの朝シフトで朝5時頃から出かけなきゃから




今日はここまで




おやすみ☆



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お久ぶりの小路です。


時間をみれば、もう4か月もブログをほっといた


毎日忙しすぎる日々に追われて、自分までも全然気づけなかった


3月になってようやく休める日があった


それでブログを再開する


今日はまず皆さんにご報告することがある


これはボクの大学に対することです。


今の時期にもう大学はすでに決めたんだ


結局北九州市立大学になってしまった


この結果について僕にも残念と思うんやが



国から日本に帰ったとき、一気にたくさんお金を払っちゃった


こんなにたくさんお金払うとは思わなかったんで


カードの中まで2万しか残らなかった厳しい状態になった始末だ


あの時もちょうどいろいろな病気にかかってしまって


コンビニの仕事も週1回か2回入らないようにカットされて


ほかの仕事もなかなか探せなくて、生活は非常に苦しかった。


1か月に2万円しかない状態で生きるのは苦しかった。


家族の人に心配させたくなくて、どうしても家族に自分の状況をおしえたくなかった


頑張って頑張って・・


あの時のボクはどうやって生き抜けたのか、


本当に言葉では表現できぬ苦しかった。


でもこれもあれらの苦しかった日々のおかげで


ボクは自分を、生活を見直した。


中国には「車は山の果てまで進むと、必ず新しい道が出る」


という言葉がある。


ボクは今この言葉を信じる。


あれからのボクは生まれ変わったように、やる気を出して、


毎日も充実な生活を送り始めた。


毎日朝9時から13時まで授業、


そのほか、全部バイトがある。毎日も休み日が全然なかった


特に12月、1月入ると、大学の受験も準備しなければならなくて、


本当にもう充実だけじゃなくて、まさに死ぬほど忙しかった。


結局忙しすぎるせいか、前期の私立の大学の出願は間に合えなかった、


これで大学3つしか出願しなかった


同志社大学の文学部、秋田大学の障害児教育、北九州市立大学の法学部


前のとも先生が必ず合格できるといったから


出願したのだが、


全部落ちてしまった。


同志社が不合格になったとき、ボクだけじゃなくて、ボクとかかわる人にも


深いショックを受けらせた。


その中、ボクにとってのショックは一番小さいかなと思った。


僕のいい友達のソンさんはもともと、もしボクは同志社に合格できたら


いっしょに今の学校の周りに部屋を探して、一緒に住むことを約束したのに


みんな必ず合格できると思ってるから、あの人は部屋さえ探してくれたのに


落ちてしまった


じつは京都に残りたかった。


自分の一番得意な文学が落ちたなんて、僕にとっては一生の恥なの


これだけ。


ほかにはなんでもない。


ボクは自分を信じてる。あの大学はボクを要らなかったのは大学の損で


僕の損ではないと思う。


このまま、ずっと秋田も落ちたまで


秋田へ行く夜、夜行バスで行く予定だった


クラスには同じ秋田へ受験する人がいたから


一緒に行った。


あの夜、不幸なことで転んでしまった


いつものことだから、最初気にしなかった、


歩き続けて、手で傷ついたところを触ると、手が血まみれになってしまった


これで怖くなった


ボクはこの前学校へ行く途中車にぶつかって事故に遭ったことあった


あの時に足は両方とも紫か碧くなった

 

でも大丈夫だった


でも今度は本当に怖かった、すぐソンさんの家にいった、


そんさんが傷をちょっとだけ処理してくれたの


あの日の朝もちょうど生理期になった、午後はまたバイトがある


途中お腹が痛くなってきた、我慢してバイトが終わるまで、


もともと生理期で体が弱いせいか血がどうしても止まれない


もうそろそろ時間で、包帯を包んでからすぐ出かけた。


これだけじゃなくて、


僕と一緒に行った男はね・・


もう本当に2度と思い出したくないけど


あの人のせいで東京での夜行バスに間に合えなかっただけじゃなく、


あの人はなんと新宿でボク一人を捨てた。


それにボクに彼のパソコンを持たせた。


もう詳しくは言いたくなかった!!


が、いろいろひどいことあった


1夜住むところさえなかった


あの夜、東京は雨だった


ボクははっきり覚えてる、雨に濡れて、


疲れた体と最初からあまり歩けない傷ついてる足、


隅で震えてるとき


あの時は本当に家に帰りたかった。


もうすぐ泣いちゃって、孫さんと朱くんにメールして


「もう大学の試験はどうなってもいいから


ボクは家に帰りたい」


って


秋田の小論文はよくできた


面接の先生もボクのことが大好きみたいで


面接終わってからボクをエレベータまで送ってくれた。


しかし、あとで聞いたことに


日本の障害児教育は全然外国人いらないって!


結局落ちてしまった




秋田へ行ったときの悲劇な経験を覚えて


福岡へ行くときは自分で新幹線で行ったの


あの時はもうこの大学しかなかった


もう合格できなかったら、もう大阪産業みたいな大学でもう1年残って


また受験しなきゃようになっちゃうから


すごく緊張してた


小論文はよくできたが面接はめちゃくちゃになってた


何が勉強したいさえ答えられないボクは、試験が終わったときは


もう絶望したような感じ。


結局あれは合格できた




運命というのは本当におかしいものである。


文学を勉強したいボクは法学部に入ろうということは考えてもみなかった


もともと北九大の「人間科学」にきぼうしたが


先生に「これを勉強しても就職できないと思うから、この学科本当にいいか?」


と何度も聞かれて、最後に


冗談みたい法学部に乗り返った・・


まさに自分の一番尊敬している三島由紀夫さんと同じ学部になっちゃったのは


考えてみなかったことなんだ(笑)



さあ


僕のいろいろな受験の旅でも写真をー




 For My Dear 。



 For My Dear 。



 For My Dear 。



 For My Dear 。



 For My Dear 。



 For My Dear 。


 For My Dear 。


 For My Dear 。



 For My Dear 。



 For My Dear 。




 For My Dear 。



 For My Dear 。






ほら~~僕の足跡ー(笑)「



 For My Dear 。


正直にいわば、文学をあきらめさせるのは


僕にはとてもうけられない残酷な現実である。


ボクは甘んじない


ボクは悔しい


負けない!!


僕の小説はまだ途中


僕のあれらの詩


僕のこころ


僕には負けない


絶対に




こんばんわ。



お久しぶり。更新しようと思ってるんだが、なかなかできなかった。



今晩の清(笑)

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実は今日帰った途中大雨にあってすごく濡れちゃって、こうになった(笑)



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で、今日の書きたいものは、前からもずっとかきたかったもんなん。



これは多分二週前のことかな。

僕がコンビニでバイトしてる時、レジである人にあった。



あの人はお客様で、僕はレジのスタッフ。



目を逸らして、見るともなくあの人を一目見ると、びっくりした!



あの人なんと僕の中4年から高校一年の間に書いた小説の主役とそっくり。



あの小説の主役は元があるから。



V6の長野博くんです。



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ストーリーの背景は昭和の時代で、今からずいぶん遠い。



また、長野くんは僕より二十年も年上で、あの人の少年時代はどんな姿してるのだろうか、

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⬆これしか持ってない僕は、考えるしかない。



それで、その少年時代の長野くんの姿を想像しながら、僕はあの小説を書いたんだ。





あの少年に会った時、

本当にびっくりした。



世界中になんてこんなに似てる人がおるのかな。



これはまさに僕の心の陽一ではないかと思った。



彼は白いシャツを黒のズブンの中に挟んで、普通で映ってないイメージ。



短くて黒の髪。

静かで礼のある態度。



これは僕の陽一なんだ‼



僕はそう思って、彼を出るまで見送った。



これだけ何だが、僕は何と先週もあの人に会えた!



同じバイトの時、

彼は乳製品出す僕の後ろにいて。

振り向いて、もういっぺんびっくりした。



これ!あの人じゃないの!!



と、こっそりこっそり、見てたんだ。



心は静かだったが、知らず知らずのうちに、声までも泣きそうになった。



今度は制服。



高校初ごろの年齢。



僕も丁度あのとしであの人を書いた。



あれから心が静かになれず、乱れちゃった。




まさか世界には本当にコンな人がいたんだとは思えなかったから。




実話いわば、ボクは今度国から帰ってからすごく後悔した。




たぶん僕だけじゃなくて、みんなそうだ




なんで日本に来たかと、すごく後悔した、




ボクは特に後悔しちゃった。




もしボクは日本に来なかったら今国でどれだけ美しい生活が送ってるかはともかく




もし中国にいたら、自分の時間はもっと多くなって、




その時間を使って自分の勉強したいものも勉強できるし。




もっと多くの知識を身に着けることもできるし、のんびりで生計に悩まなくてもいいから。




それに留学といっても、あくまでもなんでも勉強できず帰国する人も多いだろう。




実もそうだ。語言が違うから、もともと自分の国に残って勉強したのほど詳しくもよさもない。




特に僕みたいな文学を勉強する人、




日本語を使ったら中国語の語言能力が必ず落ちる。




一方、中国語だけ使ったら日本語の能力も落ちてしまう。




とはいえ、日本に留学したから、中国語の勉強はもう無理になった




日本語を専攻しようとしたら、やはり外国人として日本人ほど日本語をうまく使って




その中の微妙な意味までもしっかりわかるのは無理、




だから・・・




生活がすごく黒くなってた。




なんでこんなに早く日本に来たのかと後悔してる




来ても大学卒後、来たらよかったのに。




ここにいる生活は全然希望みえない。




自分を失った。こんな自分に属しないところで。




望みたいものさえ見つけられない。




ただ毎日毎日過ごせばいい、




まるで1年前にの決定がボク自分自身を殺したような感じ。




こころはもう落着けなかった。




書いた文字も、混乱な焦りまみれように見える。




ますます現実的な人間になってきて




ますます心の中には「お前の母ちゃん」と思いながら




表には笑顔で「ありがとう」を言うようになってきた。




昔の僕の作品をみて、




その中の心を動く純粋というもの、今の僕にはなかった。




すべてがさまようようになった。




僕の今の存在する意味がわらない。




このまま。ずっと、あの少年に会ったまで。




本当にびっくりした、




自分の小説の中の主役はいきいきボクの面の前に現れたなんて




あの小説、ボクの生まれ変わりの前のこととして、感情をいっぱい注いで書いたものだから




今のこの少年を見て、まるで前世の恋人をじっと見てるような感じ。




ただし、ボクはもう、あのごろのボクじゃなかった。




あんなこと、あんな人、一生でも、ほしかった。




静かで優しくて、あんまり人気がなさような様子でずっとそばにいてくれる人が




夕日に染めた駅から一緒に帰る生活が




ほしかったが・・




しょせん夢なんだ。




もう一度もう二度もう何度も会いたかった。




きっとまた会えるだろうう。




江戸川乱歩さんと似てる言葉でいわば




「運命というのはなんと不思議なことでございましょう!」(笑)ww




ここ(日本)にはきっと誰か(何か)がボクを待ってる




そのためにボクはこんなに早くてここに来たのだ。




ボクは今これを信じる。




きっといつかまた会えるだろう。




あの少年と、




僕を待ってるものと。












                      







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僕はこれが大好きだ。

博くんが先世紀で着た服は2009までも着てると、

聞いたが。


あっはは、やっぱり暮らし的ないい男[みんな:01]

でしょ?

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やっぱり悪いよね?僕ってやつは?

あはははー


最後の清でお休みぐぅぐぅ三日月

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お久しぶりの小路です。

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国から帰ってきてからというもの、ずっと、ブログを更新しなかった。

時間もないし、更新する気持ちもない。

僕は、このブログをほっとく一番の理由は、

僕のこのブログは、周りの人に知られちゃったことで、もう更新する気はなくなりました。

誰かに自分の痛みを刺されて笑われたくない。

一方、人人、みにブログ、など、中国のページでも、本音を吐くことをしないようにした。

だんだん、こゆもんになった。

今まで、

毎日もペタをしてくれる人に感謝します。

ありがとうございました。


11日は留学試験で、最近もいろいろあって、

気持ちが非常に悪くなってるの。
まあまあ、そゆもんね笑

で。僕はあの人を非常に慕うようになったわ

誰だろ

さあ笑
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奈々という名前、僕はずっと使ってた。

今は 許 清顕に変えるつもり。これからも許清顕でよろしくお願いしますね。

では。




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