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 For My Dear 。

清 思 苦 慕 或 将 去 , 但 念 君 心 似 我 心 。


お久しぶり。

大学に入ってから

いろいろ忙しくて、

ブログを放置してしまいましたが

いまから、時間あればチョコチョコ更新しようと思ってるの。

今は春休み中だが

なんか普通よりも忙しそうな感じがする(笑)

春休みのうちに化粧学ぼうと思って、
一生懸命頑張ってる!ラブラブ

photo:01



けど、すっぴんと全然変わりが見えないあせるしょぼん

以下はすっぴん
photo:02



やっぱりしない方がいいかな~

と思うほど

変わらない(笑)


悲しい~(笑)



このブログを読んでる方々

またよろしくお願いします。


iPhoneからの投稿


九州の道を回して、一人で自転車でさまよう、何時の間にかこの道をまっすぐいったら見慣れた学校やスーパーが現れるような感じがしてた。
高校から卒業した時、ギリギリ18才になってからすぐ日本にきた。知らずのうちにもう一年半経った。時に思い出せば、本当に頑張ったと思った僕は実は、ダメ人間だった。
九州に来てはもう1ヶ月経った。よく夢を見てた。京都に帰った夢を。
九州にくる前に頼めない不動産屋に騙されて、家を失った僕はあっちこっちのいそろ生活を始めた。このような時はよくあの夜のことを思い出す。僕が受験に出かける頃のこと。東京でしばらく止まって、夜バスで秋田へ行く予定だった。何とかのわけでバスに間に合えなかった。バス場へ行く途中で一緒に行った人にすてられてしまった。東京でどこにも行き場のなかった僕はその雨の夜の冷たい雨に打たれ、一人で隅で震えてた。出かける前に転んでしまった膝の傷が化膿して、血がストッキングとしっかりくっついた。生理痛の痛みと、歩きすぎてもう腫れた脚。あの時は本当にもう帰りたかった。僕は京都が好きじゃなかった。あの時限り、京都が懐かしくなった。秋田から帰った時、やっと家に帰ったという感じでホーとした。九州に受験に出かける時、前のことを覚えて一人で行った。案外なことに一人で道をよーく探せた。これはさぞ運命というものかもしれない。小倉はなんか国の故郷とよく似てるような感じがしてた。このようなところで心もだんだん落ち着いて来た。
京都に残ったら一緒に一戸建てを探して、ペットも飼おうと、友達と約束してた。結局、僕は京都には残れなかった。
来る前に騙されて家を失ったせいで、もういっぺん行き場がない味を味わった。本当はもう引っ越したくなかった。僕は本当に疲れた。
京都の部屋から出て、九州の部屋はダメになり、草津の友達の家にいそろした、4月4日の入学式に迫って、九州へ行かなければの時はようやくやってきた。友達と別れて、一人でJRを乗って、京都駅から去っていた。
気にしてないと思いつつあり、新幹線の中では既に涙がボロボロになった。窓の外に目をやった、好きじゃないのに、もういつのうちにここを自分の故郷にしていた。
日本にきたばかりの僕を思い出して、何でもわからず、本当にバカみたいだった。何と言っても、ここは僕を成長させたところ。苦しかったにしても、辛かったにしても、ここは僕の日本にある故郷なんだ。そのすぐそばにある大阪、あそここそ、僕のずっと憧れてたところじゃないだろうか。ずっとずっと行きたかった、けど一度もいけなかったところ。あの時の僕はどう思ってたんだろう。あのいつも鴨川を眺めて、あそこを見つめた僕は。
「果てぬ川、打ち上げる波、涙色。」このように先生に解釈した僕は。
いったいどう思ったんだろう。
九州の夜道を回して、なんとなく時に京都に帰った感じもしていたーーここから下にいったら、関西語言学院が見えて来る。その周りに見慣れたマクドナルド、業務、マツモト、そしてここから上ったらうちの家に辿り着ける。時にも自分の本当な故郷に帰った感じがしていた。このように二つの故郷が妙に重ねてきた。こんな感じは微妙だった。気づいたら、もう離れた友達たちが懐かしくなってしまった。18歳の時一人で日本にきた僕は今も一人で九州にきた。知り合い一人もいなくて平気。何でも一人で大丈夫、何でも一人で耐えられる。時にも話したくないわけじゃない、ただ口を開けようと思うところで何かを話せるものがないと、気づいただけだ。
ブログを長い間放置してしまった。なのに時々なんとかを書きたくなる。むしろアメブロのペタはあまりにも時間かかりすぎ、もうやめたいと言うよりも、あのたくさん本音を吐いたブログはいつかまた復活させる日も必ずあると言う方がいいだろう。昔のように元気に。
それに従ってこんな無愛想なやつもいつか自分に許される日が来るのだろうか。昔のように純粋に。

iPhoneからの投稿

お久しぶり


今は北九州市にいて北九州市立大学に進学した。


もともと20にちごろは京都から北九州へ部屋探しに出かけて


部屋は一つ探せて、不動産やはオッケーしてくれたから


契約して京都に帰った


30日に京都から荷物を全部出して夜は友達と焼肉を食べるとき


急に不動産屋から電話届けて緊急連絡人はダメになったといわれて


31日にファクスで新しい連絡人の資料を送って4月1日に結果を知らせるといわれたけど


一日になるとめーるしても返事がくれない


これで電話して前の部屋はやっぱりだめになったといわれて


ボクはこのままに部屋をなくしてしまった


あの時はもう引っ越しの荷物も出して京都の部屋から出てしまって


家をなくしたんでしばらく草津の友達の家に住んで


4日は入学式だから3月に学校へ行って、ホテルに住んでて


入学式で知り合った中国人のお姉さんに住んでるなう、今は




新幹線で京都から離れるときはなんとなくすごく悲しくなって


新幹線で大泣いてしまった。


口から京都は好きじゃないといってても


京都を自分の日本にあるふるさとに思ったから


ボクは中国のふるさとから離れて日本に来るときはこんな感じはなかった


いつか必ずまた戻るのを知ってるから


京都はこれからもう帰れないかも


これを思って我慢できずに泣いてしまった、




大学に入ってからというもの


ずっと忙しくて時間がなかった


ここは中国人の数も少なくて友達は作れないと思うけど


何人かできてうれしかったが


ずっと憧れてる弓道部に入ろうと思った


最初弓道部の先輩はすごく優しくてくれたが


今日は弓道部に見学に行くとき、すごくショックを受けた


前ボクにやさしくしてくれた先輩がいないから


完全に無視された。


ある日本人の女の子と一緒に行ったから


みんなあの子にしか話しかけない


僕を見てもみない、


「サークルに入るか」もボクにも全然聞かれなかった。


前にボクを家まで送ってくれた先輩と、ある全然知らない先輩だけは


ちょっとだけボクに話しかけたけど


僕のこころは傷つかれた


本当に日本の文化が大好きで日本に来て


どうしてもこのようなサークルに入りたいと思ったから


本当にひどいほど無視されて


家に帰るともう泣きそうになった


弓道がすごく興味あって頑張って入ろうと思ったのに


もうやめると思う、


ほかのサークルも参加しない


日本に来てから不平等なことはいろいろあったけど


これはどこでもあることで


外国人にとってはもう十分覚悟した


けど、このことはもう本当にボクを傷ついた。


もともとボクはあんまり日本人に話しかけない。


中国人にまずまず親切になって日本人にまずまず冷たくなるのは


日本人が嫌いになったわけじゃない


ただ日本人に冷たくされたから


もうこれ以上親しくする必要がないと思われちゃうから


ボクはクラスにいるときは


周りの人に全然話かけない


もし誰かに話しかけられたら喜んで友達になりたいが


僕からは積極的にはどうしても無理なの


このことがあってからも


これからも一層冷たくなるかもと思う。







この前の話だけど、


マツモトの花屋で桃の花を目撃した、


その花と枝の色が大好きで買おうと思ったけど買わなかった


そのあと何日後はどうしても桃の花がほしくて


京都のほかの花屋を回して、探して


やっと4枝を買った( ´艸`)



 For My Dear 。


 For My Dear 。

買ってから見れば見るほど好きになって


とても大切してあげた。


それに家の中に特別なところを作ってあげた



 For My Dear 。

なるほど古人は男と女のことを桃花に例える、


または「桃花如き顔」という言葉で美人を書く。


今は細かく見る機会があってよくみれば、確かに美しい。



 For My Dear 。


 For My Dear 。



昼になると


僕もよく外に運んで太陽にを浴びらせるようにしてたが


最近、ボクの大好きな桃の花が枯れてきた( p_q)



 For My Dear 。


あんなに好きで優しくしてあげたのに


なんで枯れてしまったんだろう・・・


もう助かる方法がなかったのかしら


今日京都駅から帰った途中


花屋の桃の花はもう桜の花にかえられちゃったのをみえたんだよ


もう・・


僕の桃の花のときじゃなかったかもしれないね。。。




明日ずっと前の詩を更新します


よろしくですね♪




これからは小説を書くから


今日はここまで得意げ