国の権力者が占いに頼るというのは間々ある話だけれど、わが国の菅直人総理の場合は「言霊詩人」である。そして、宰相の座に居座り続け、なおかつ脱原発を表明したのは、その人物のご宣託によってのことだった。なぜ、菅総理は自在に操られてしまったのか。


 もはや、菅総理は「裸の王様」に成り果てたという他ない。心地よい言葉を吹き込む人物だけを重用し、他の者の意見に耳を貸さないのだ。官邸スタッフがこう言う。「党執行部や閣僚からも退陣を迫られ、菅総理は四面楚歌の状態。しかしながら、頼りにする相談役がわずかに一人だけいて、その言いなりになっているんですよ」

 その人物とは、田坂広志内閣官房参与(60)。

 東日本大震災後の3月29日、原子力工学の専門家として原発事故対応の助言を求められ、参与に任命された。「田坂さんは頻繁に官邸を訪ねている。彼は、とにかく菅総理を褒めまくるんです。『総理のやろうとしていることは素晴らしい。人類の未来は自然エネルギーしかありません』『国民もそのうち理解してくれます。総理はすごい人です。そうゆう星のもとに生まれている」』などと煽てるわけです。歯の浮くような褒め言葉に菅総理はすっかり舞い上がり、辞める素振りなんてまったく見せません」(同)


 菅総理を自在に操る田坂参与とはどんな人物なのか。現在は、多摩大学大学院教授、さらにソフトバンクグループが設立したシンクタンク「ソフィアバンク」の代表でもある。その一方、自らを「思想家」「詩人」と称し多数の著書を執筆している。例えば、近著「未来の見える階段 詩的寓話 人類の未来 その彼方に」を掻い摘んで紹介すると---。

 「遠い昔、21世紀の初めのできごと。グロバリアという国の片隅にあるジャポニア村に姉弟がいた。姉弟の父は商人で、両親は『未来の変化がわかれば、新しい商品を創るのも楽だろう』と嘆いた」「姉弟は両親の嘆きを聞き、森に住んでいる聖人に未来を知る方法を訊ねに行く。聖人は未来を予測する方法はないというものの、螺旋階段を登るように指示する。2人が螺旋階段を登ると村が見え、さらに登ると視界から村が消えて草原が現れ、なおも上に行くと、再び村が見えた。しかし、少し高い所から見える景色は前と違っている。聖人は『それが未来だよ』という・・・」摩訶不思議なスピリチュアルな内容なのだ。


 菅総理がそんな田坂氏を参与に迎え入れるキッカケとなったのは、今年1月のダボス会議だった。政治部記者によれば「田坂さんはダボス会議の評議会メンバーを務めている。田坂さんは、言霊プレゼンテーションなるものを菅総理に提案しました。スピーチの最中、演壇横のスクリーンにキーフレーズが次々に現れるという仕掛けです。そうすると、そのキーフレーズが聴衆の心に言霊となって残るんだそうですよ」

 怪しげな、この「言霊詩人」の仕掛けに、菅総理はいたくご満悦だったそうだ。「しかも、菅総理はダボス会議のスピーチで、『螺旋階段を思い浮かべてください』『螺旋階段型の発展モデルを世界に示したい』などと言っていた。まさしく、田坂さんの受け売りです。このとき、すでにかなりの影響を受けていたに違いありませんね」(同)


 そして、参与となった田坂氏はG8サミットにも同行した。官邸担当記者がこう言う。「実は、現地に向かう政府専用機のなかで、菅総理はスタッフに対し、急遽、スピーチの草稿に追加を指示しました。それは、『太陽光パネルを1000万戸の屋根に設置する』という文言だった。それも、田坂さんの入れ知恵だと言われている。田坂氏は太陽光などの自然エネルギーの普及論者だという。

 さらに、田坂氏は総理官邸で自然エネルギーに関する「総理・有識者オープン懇談会」を開催。孫正義ソフトバンク社長などを招き、菅総理と討論を行わせた。「満を持して菅総理は7月13日の記者会見で脱原発を表明しました。政府方針ではなく、個人の考えだと言い出し、余計に反発を食らいましたけどね。業を煮やした閣僚が、『田坂をなんとかしろ』と総理秘書官らに食ってかかっていましたよ」(同)


 党内からソッポを向かれた菅総理の味方は、いまや田坂氏と伸子夫人だけだといわれている。その伸子夫人も、夫の総理続投に意欲満々。彼女は、「公邸は住みやすいので引っ越したくない」と漏らしているそうで、というのも、「菅総理の母親が公邸に同居しているのですが、高齢なので介護が必要です。公邸にいれば、総理の健康状態をチェックする医務官が母親も診てくれますが、総理でなくなればそれも不可能になる。伸子さんの介護の負担が増すわけです。ですから、夫に総理を辞めてほしくないんですよ」如何にもセコイ家庭の事情で総理を続けられても堪らない。

(週刊新潮、2011/7/28より要約)

岩手、宮城、福島3県の県議会議長は、菅首相の退陣を求める緊急動議を、27日に都内で開かれる全国都道府県議会議長会の総会に連名で提案する方針を固めた。

 動議案によると、退陣時期を明確にせず、発言が迷走する首相について「信頼を失った政府では復興が進まない」と批判。「首相自身が『復興の足かせ』になっているという風評が出ること自体、極めて遺憾な状況だ」と指摘している。

(読売新聞、2011/7/24)

 野田氏に、脂肪吸引手術による死亡事故で逮捕者を出した美容外科グループの創業者が多額の献金を行っていた。しかも、野田氏は死亡事故の後も、献金を受け続けていたいたのだ。

 小誌が今年3月10号でスクープしたように、かつて反社会的勢力との関係が指摘され、脱税での逮捕歴がある人物が関係する会社にパーティ券を買ってもらうなど、露呈している。つい最近も、脱税の疑いがあるとして税務当局の強制調査を受けたソフトウエア会社から献金を受けていた問題が新聞等で報じられた。


 そこで野田氏の過去の政治資金収支報告書をもう一度精査すると、ある重大な問題が浮かび上がった。野田氏の資金管理団体「未来クラブ」の政治資金収支報告書を紐解くと、ひときわ目を引く名前がある。


「綿引一」。


 08年、09年にそれぞれ百万円の計二百万円を個人献金している。報告書をざっと見渡せば、その突出度は一目瞭然。大半が1万円の桁におさまり、10万円を越えれば目を引く並びの中で、桁が二つ違うのだ。数百人いる個人献金者の中でも、2年連続で献金最高額のこの御仁。一体何者なのか。


 個人献金者の欄に記された港区の住所に赴くと、見えるのは「品川美容外科」の看板。今年3月に警視庁捜査一課による家宅捜査が行われたビルである。ことの発端は、09年12月。品川美容外科の池袋院で脂肪吸引手術を受けた女性が死亡した。警視庁は業務上過失致死容疑で家宅捜査を行い、以後1年以上にわたって捜査を継続してきた。今年3月の家宅捜査は、品川院、担当医師の自宅など数ヶ所に及んだ。そして、4月に担当医の堀内被告を逮捕し、既に起訴している。


 しかも、その過程でさらに仰天の事実が発覚した。なんと家宅捜査中に、極秘のはずの捜査一課の資料の写しが、品川美容外科グループの創業者兼実質的オーナーのデスクから発見されたのだ。この人物こそが、野田氏に献金していた綿引氏である。目下、医療過誤事件は、警視庁の捜査情報漏洩問題へと発展している。

 野田氏にぜひ耳を傾けてほしい言葉がある。「政治家や公務員は、『実際にどういう関係だったか』だけでなく、『怪しい関係と見られた時点で一定の責任が生じる』」野田氏の自著「民主の敵」の一節である。


 (週刊文春、2011/6/23より要約)


 彼らを一掃することが復興への第一歩なのかもしれない。「ペテン師」と呼ばれてもどこ吹く風、内輪ではチョー強気発言を繰り返す首相、混乱を招くだけの前首相、次席を決め込み、地元からも見放された元代表--。無様極まる「政争」の内幕をすべて白日に晒す。


 大震災によって、図らずも菅内閣はその実力を露呈することとなった。放射能汚染はいまなお拡大し、収束のめどは一向に立っていない。その一方で、自らは一定のめどが付いた段階で退陣する、との意向を示した。6月2日の記者会見で、私は菅首相の判断を試すため、次のように質問した。「『一定のめど』については何度うかがってもハッキリお答えいてただけないので、別のことを聞く。首相がお辞めになるのは、首相の地位か、国会議員の立場か?」これほど簡単な質問ですら、菅首相の回答は曖昧だ。それはこの3ヶ月間の混乱を象徴するものである。

 「同じお答えになって恐縮なんですが、私が代議士会というオープンな場で、大勢の代議士、あるいはマスコミ関係者の皆さんもおられるところで、申し上げたわけで、その私の発言からお読み取り頂きたい」ちなみに、その代議士会の席上で、「首相を辞めるか、議員を辞めるか」について、菅首相は何も言っていない。万事がこうである。それは何も今に始まったことではない。


 「兄貴はまた菅に騙されたのか。バカだよなぁ」議員食堂で秘書たちと談笑していた鳩山邦夫氏は、私の顔を見るなり、こう語った。15年前、民主党結党時からの5年間、鳩山事務所で働いていた私は、鳩山兄弟をよく知るジャーナリストの一人だろう。その私にとって、邦夫氏の言葉はストンと胸に落ちるものであった。

 菅直人首相は、周囲の犠牲の上で現在の地位を成立させている。この日、代議士会の席上、鳩山由紀夫前首相が、午前中に交わした「確認事項」を元に、菅内閣の退陣を確認した。その結果、不信任案可決は回避されたが、菅首相には退陣の約束が残った。だが、邦夫氏はその時点で、菅首相が約束を反故にすることを見抜いていたのだ。その夜、鳩山由紀夫は親しい友人に、「騙されました。恥ずかしい限りです。申し訳ない」と電話で語っている。さらに翌朝、ぶらさがり記者たちに「政治家が約束を守らないのであればペテン師と呼ぶしかありません」と珍しく感情を顕にした。


 それにしても、鳩山氏が菅氏に騙されたのは何度目になるだろう。思えば、民主党結党時から裏切りの繰返しだった。96年の年明け、新党さきがけの二枚看板だった菅厚生大臣と鳩山代表幹事は、橋本龍太郎首相を支える自社さ政権に限界を感じ、第三極の結集を目指して密かに新党結成をもくろんでいた。だが、その年の春、新党結成を明言した鳩山に対して、菅は決断を引き伸ばす。「厚生大臣という地位にある以上、その任期を全うするのも政治家としての務め。無責任に閣僚の座を投げ出すことはできない」わずか数ヶ月前まで、新党結成に合意していた菅氏だったが、鳩山氏が新進党にいた実弟の邦夫氏との距離を縮めると、いきなりハシゴを外したのだ。

 菅氏の思惑は明白だった。自らの決断を遅らせることで、自分自身を高く売りつける魂胆だった。鳩山家の当時の金庫番秘書は私にこう語っていた。「鳩山兄弟であわせて15億円の持ち出しだよ。それに連合から10億円。新党はカネがかかる。それにしても菅は一銭も出さないんだから、ひどいもんだよ」新党参加を遅らせることで、鳩山氏から次々と譲歩を引き出し、さまざまな条件を付けていったのだ。


 鳩山氏の下に付きたくない菅氏は、二人代表性を呑ませ、政策や党事務局人事までをも、自らの要望を入れさせることに成功した。そして、条件闘争で成功した最たるものが「無賃入党」である。「次の選挙はオレのおかげで票が集まる。それは数億円分の価値がある。カネを出す以上の役割を果たしているだろ」当時、東京都連の会合で、菅はさきがけから先に民主党入りを決めていた側近議員に向かって、こう語っている。

 鳩山氏に対する菅の裏切りはまだ続く。98年、週間文春が報じた菅氏の不倫疑惑は、民主党に激震をもたらした。政党への期待はしぼみ、菅氏自身も一週間以上、雲隠れするという失態をしでかしてしまった。それはまた、鳩山氏への裏切りでもあった。


 鳩山氏は極秘裏に小沢自由党との合併交渉を進めていた。そしていよいよ自由党との合併交渉が煮詰まったところで、党内から猛烈な反発の声が上がった。その急先鋒の一人が、菅氏だった。「小沢を入れたら、絶対に民主党は乗っ取られる」民主党を一緒に作ってきた盟友の声に負け、鳩山氏は自由党との合併を断念した。そして、その責任を取って代表を退いた。ところが菅氏は自分が代表に就任すると、翌年、あろうことか、自ら当の小沢氏と交渉を進め、合併に漕ぎ着けるのである。

 自由党と民主党の合併大会の壇上には、下地を整えた鳩山氏の姿はなかった。代わりあったのは、小沢氏と手を握って両手を掲げる菅氏の姿だった。まんまと菅氏に謀られて代表の座を下ろされた鳩山氏は、その直後、私にこう語った。「上杉君、『菊作り、菊見るときはただの人』って言葉、知ってる?」


 普天間問題の混乱の責任を取って、鳩山氏が首相の座を退いたのは昨年6月。その際、菅首相誕生のために自らのグループや小沢グループを説得して回ったのが、鳩山氏であった。代表選の最中、久しぶりに会った私に、「菅さんは挙党一致、若手からも、小沢グループからも人事重用をしてくれると約束してくれたんですよ」とうれしそうに語っていた。ところが、ふたを開けてみるとまったく違っていた。首相となった菅氏は徹底した報復人事を行ったのだ。

 それから3ヵ月後の9月、再度訪れた民主党代表選の際、小沢氏と一騎打ちになった。この時、鳩山氏は「党分裂を回避する」という大義名分のもと、菅・小沢両氏の調停役を勝手に買って出たのである。鳩山氏と、首相官邸で会談した菅首相は、勝っても負けても小沢グループを処遇する、と約束したのだった。だが、結果はもちろん、反故にされた。「私は何だったんでしょうね」鳩山氏のこの嘆きが新聞で紹介されたのは翌日のことだった。

 そして8ヵ月後、またしても、鳩山氏は同じ失敗を繰り返すこととになる。これまで15年間、菅氏をみてきた立場からすると、率直に身を引くとは信じられないのである。


(週刊文春、上杉隆、2011/6/16より要約)

 野田佳彦財務相は2日の衆院財務金融委員会で、脱税事件で逮捕された男性が代表取締役を務めていた企業が野田氏の政治団体のパーティー券購入をしていた問題について

「該当する事例があったかを確認したい。仮に脱税したような法人や個人であるなら、今の職責上適切ではないと思うので、返還を含めて検討する」と述べた。


(産経新聞、2011/3/2)