原始の日本を覆っていたとされる広葉樹「ブナ」。その広大な林が北信州・飯山市にある。ブナ林のある「鍋倉山」は、五月の連休から残雪の上を歩け、森林浴ファンに人気が高い。


 山から流れ出る清水を使い、ふもとでは、上質のコシヒカリを栽培している。その里山の一角に「四季彩の宿かのえ」がある。


 もちろん、ご飯はコシヒカリ。信州産のそば粉を、すぐ近くの谷あいに湧き出る名水で打った自家製そばも味わえる。ご自身がこの地に来て六代目というご主人と奥さんの二人三脚で切り盛りし、常連客も多い。食事に出す米は自家栽培。宿のまわりも一面、田んぼが広がっている。


 「かのえ」のある戸狩地区は、かねてから「田舎暮らし」を提唱し、連泊滞在を勧めてきた。そのせいか、静かな里山で滞在し、飯山の寺町や野沢温泉などをまわる夫婦連れや、田舎体験の子供たちが、この村の主客層だ。田舎めぐりから帰ったら、薄黄色でとろみのある戸狩温泉が待っている。


 冬の間は、スキー客でにぎわった里山も、残雪が融け終わる五月、一面が「真黄色」に染まる。「菜の花」の季節だ。飯山市は、条例により野立て看板が規制されているので、日本の原風景たる景色が広がり、映画「阿弥陀堂だより」のロケ地にもなった。


 ブナの新緑に、菜の花の黄色。それに、間もなく、田んぼの黄緑色が加わる「芽吹きの季節」が飯山にやってくる。


(2006年5月)


四季彩の宿かのえ


長野県飯山市豊田5509

JR飯山線戸狩野沢温泉駅より車で約10分。

0269(65)4570

http://www.kanoe.jp/




 

 昭和三十年から四十年代、都会近郊に「ヘルスセンター」と呼ぶ施設があった。温泉にプール、お芝居劇場が併設され、家族そろって一日遊べるレジャースポットとして一世を風びした。


 現在ではほとんど見られなくなってしまったが、九州の茶どころの温泉地に残っている。「日本三大美肌の湯」として知られる嬉野温泉の「嬉野温泉センター」だ。


 まったりと滑らかな源泉をたたえる「七福神の湯」に、毎日午後一時から演じられる月替わりの芝居が、地元の熟年層に喜ばれている。館内は、七福神をはじめ縁起物が飾られ、商店街風に売店が連なり、さながら縁日のような雰囲気だ。プールは冬の間、人工芝のグランドゴルフコースとして楽しめる。


 宿泊は、一泊二食で一万円から。通常の夕食は会席料理だが、芝居小屋の入口に、地元家庭料理を小皿で注文できる「百均食堂」があり、そこで食べることもできる。惣菜からデザートまで全て一品百円。夕方には、芝居小屋の座敷はそのまま食事場所に変身する。一泊朝食で宿泊を頼み、夕食は、ビールを飲みながら、地元のおばあちゃんに交じって百円料理を楽しむのも悪くない。


 洗練された温泉宿が増える現代だが、この宿は、戦前世代が喜ぶ「昭和のにおい」を残している。旅先で、昔なつかしい昭和の冒険を楽しんでみるのもの一興だろう。


(2006年4月)


※嬉野温泉センターは、現在改装のため長期休業中です。


嬉野温泉センター


佐賀県嬉野市嬉野町大字岩屋川内甲128

JR武雄温泉駅からバス30分、嬉野温泉バスセンター下車徒歩3分。

0954(43)1130

http://www.juliplatz.com/




 

 「ホテルのように気軽に過ごせる一流温泉旅館があったらなあ」。


 そんな要望をかなえる老舗旅館が長野県千曲市にある。百年以上の歴史を誇る「笹屋ホテル」だ。一泊二食の通常料金に加え、利用者自ら食事を選択して加える「旅館型ルームチャージ制」を「セレクトプラン」と称し、販売している。

 このシステムでは、まず部屋タイプを選ぶ。部屋代だけなら一人一万円を切るものもある。会席コース料理と中華から選べる夕食は有無や時間を当日、自由に設定できる。陳建民直伝の四川料理をアラカルトで頼める旅館というのも、日本ではここぐらいだろう。

 朝寝坊したいなら、朝食を中華のブランチにすることもできる。食事のことを気にせず、浴衣でゆっくり過ごせるので、若い人にも人気が高い。

 仕事のあとに東京を出発しても、長野新幹線を使えば二時間で着く。夕食をとらない遅い到着の旅行でも対応できる。連泊して一泊目は旅館で食べ、二泊目は外で食べるのも自由自在。日中の観光はコンシェルジュに相談しよう。季節ごとの見どころやおいしいそば店などを紹介してくれる。

 もちろん、一日、温泉ざんまいでもいい。大浴場や貸切露天風呂には泉質がやわらかい単純硫黄泉がとうとうと掛け流されている。

 まもなく信州に、梅と桜と杏(あんず)が競演する花の季節がやってくる。


(2006年3月)


笹屋ホテル


長野県千曲市戸倉温泉3055

しなの鉄道戸倉駅より車で5分。

026(275)0338

http://www.sasaya-hotel.com/




 二月、千葉県の南房総は「花」の季節である。太平洋を眺めながら、ストックやポピー、キンセンカなどの花摘みを楽しめ、人気が高い。


 房総半島の先端に近く、料理の神様「高家(たかべ)神社」で有名な千倉町の民宿では、この季節に「花の宿」を宣言し、「花の料理」でもてなしてくれる。その中の一軒が民宿「政右ヱ門」だ。



 定置網でとれた地魚の料理に、無農薬で栽培された花が彩りを添え、春らしいお膳が食卓を飾る。花は食用として栽培されているので食べることができ、栄養価も高い。



 三月までの花の時期には湯船に花かごを浮かべ、八室の客室をはじめ館内のここかしこに花を飾る。まさしく「花の宿」となる。



 二月十日から三月十四日までの月木土の週三回、館山から大島を経由して伊豆の下田までジェット船が運航される(注:現在は運航されていない)。南房総の花摘みに興じた翌日は、大島の椿(つばき)まつりへ出かけたり、伊豆で河津桜をめでたり。海を渡る「花めぐり」で、とことん花を楽しめるというわけだ。



 二月二十五日から三月五日まで、千倉から一時間の勝浦市では「ビッグひな祭り」が開かれる。花に負けじと、一万体のひな人形が町中を飾る。



 日本各地がまだ冬明けやらぬ二月、南房総には、ひと足早い春が訪れる。


(2006年2月)


政右ヱ門


千葉県南房総市千倉町忽戸497

JR内房線千倉駅からバスで約15分、忽戸小学校前下車徒歩3分。

0470(44)4071

http://www.masaemon.net/






 東北地方には「大名湯治」と呼ばれる、現代風の湯治スタイルがある。雪に閉ざされる冬の間、夫婦や親族で連れ立ち、近隣の温泉地に滞在して一年の憂さを晴らし、あかを落とす。


 通常、湯治といえば、静かに湯につかり、自らの心身を癒やすことに主眼をおく。しかし大名湯治は滞在中に語り合い、笑い、食べ、同行者との関係を強化する「楽しい湯治」なのだ。


 大名湯治で有名なのが岩手県の「花巻温泉」。「ホテル千秋閣」など大型温泉旅館三軒と本格懐石を提供する料亭旅館「佳松園」の四館から成る。

 花巻温泉の開湯は大正末期の一九二三年。地元の実業家金田一国士らが「東北にも宝塚のような総合レジャー施設を」の掛け声のもと、温泉旅館、貸別荘、動植物園などを建設した。花壇の設計には、宮沢賢治も加わっていたという。


 大型旅館三軒ではバイキング料理を提供するほか、和洋中のレストランも擁する。当日、好きな食事を選ぶこともできる。


 この冬、花巻温泉では新たな平日限定滞在プランを売り出した。好きな三館に一泊朝食付きで三泊し、四泊目に最高級の佳松園に二食付きで泊まる「四連泊プラン」。四泊合計で税込み四万円。通常なら一泊約三万円の佳松園を含めて、一泊平均一万円で泊まれるので、大名湯治客に喜ばれている。このプランは原則冬期間のみ。


花巻温泉


花巻市湯本第1地割125

東北新幹線新花巻駅から車で約20分。花巻空港から車で約10分。

0198(37)2111


http://www.hanamakionsen.co.jp/





 今年の日本温泉協会の総会が神戸で開かれた後、協会の重鎮たちはある温泉宿に向かった。「田畑の中に塩の湧(わ)く処あり」と江戸中期に発見されて「塩田」と名付けられた兵庫県夢前町の塩田温泉。その湯元である「上山旅館」だ。


 塩田の泉質は炭酸水素塩泉。「飲めよ飲めよ、塩田のいで湯」と歌われ、昔から胃腸に効く湯として湯治客に親しまれてきた。敷地に湧く冷泉は加温され、源泉の湯船もある内湯や紅葉山の野天風呂に注がれる。


 名物は朝がゆとして出される「湯壷(ゆつぼ)がゆ」。調味料を加えず、塩味の炭酸泉だけで炊く。ほんのりと湯の香がする。


 湯治客のような滞在がおすすめだ。一万円で泊まれる木造の「見晴館」のほか、トイレ付きの「本館」など、四タイプの部屋と四つの食事コースを腹と懐具合により選べるので、連泊しても飽きることがない。小食の人には少量のシニアコース料理もある。


 付近には、山上伽藍に数々の文化財を擁し「西の比叡山」と呼ばれる書写山円教寺や世界遺産姫路城もあり、散策にはもってこいだ。


 老朽化していた建物は阪神大震災直前に、全室露天風呂付きの宿への転換する計画があった。ところが震災により全面改装はご破算となり、部分改装に終わった。今では貴重な、昔ながらの温泉宿のたたずまいを残すことは、なにかの運命だったのかもしれない。


(2005年12月)


上山旅館


兵庫県飾磨郡夢前町塩田287

山陽新幹線姫路駅からバスで約35分、塩田下車徒歩8分。


07933(6)0020

http://www.ueyama-ryokan.com/





 東京大学の周辺地区は、東京大空襲のときに戦災を免れたせいか、昭和初期の町並みが残っている。そのなかには旅館も多かったのだが、いまや十軒程度を残すのみ。そのうち、三軒が「鳳明館」だ。


 登録有形文化財の「本館」、庭を持つ「台町別館」、今でも修学旅行の生徒たちが泊まる「森川別館」と、いずれも昭和の懐かしい面影のまま建っている。


 最近では、東京へやって来る学生の団体に加え、外国人旅行客が多い。日本情緒を味わうにはもってこいだからだ。回廊式の廊下、不ぞろいの客室、急な階段。迷路のような館内を探検すると、クラシックな空気が充満している。


 宿泊だけでなく、会食など、さまざまな使い方が可能だ。宿泊せずにお風呂をいただくこともできる。浴衣がけの個室宴席を楽しみ、遠路帰るのがおっくうになった人は、追加料金を払って宿泊すればよい。大学のゼミなどが森川別館を借り切って、昼は学習、夜はコンパに使う例もある。


 遠い温泉まで足を延ばすのにためらいを感じる東京在住者は、こんなに敷居が低くて楽しい老舗宿が身近にあることを覚えておいてほしい。もうすぐ、忘年会のシーズン。幹事のセンスを見せるのにもいい。


 宴会の時期が終わると、東大の受験生がやってくる。様々な人の人生をみつめてきた鳳明館は、二〇〇六年に創業百年を迎える。


(2005年11月)


鳳明館


東京都文京区本郷5-10-5

丸ノ内線本郷三丁目駅、南北線東大前駅、三田線春日駅から徒歩約10分。

03(3811)1187

http://www.homeikan.com/






自社の施設や格安料金ばかり宣伝する旅館が多いなか「お客様の思い出こそが商品」とうたう宿がある。ちょっとした「生活者の悩み」の解決を目指す数々の宿泊プランが、ホテル五龍館の人気を支えている。


 たとえば、夏の「ママも納得!温泉キャンプ」という二泊三日プランは、家族連れの悩みを解決した。一泊目は家族でキャンプをするのだが、アウトドアが苦手な母親や幼児のために、ふもとにある五龍館別館の洋室をテントとは別に用意。無理なくキャンプ気分を味わうことができる。

 

 北アルプス初心者向けの「唐松岳頂上山荘との連泊プラン」は、一泊目のホテル五龍館で登山ルートの説明を受けたり、弁当をつくってもらったりして、登山に出発。体調不良や天候不順の場合は二泊目も五龍館別館に泊まれるプランだ。その安心感が、とりわけシニアの登山者の不安心理を解決し、喜ばれた。


 静かな秋には、仕事に疲れた会社員を対象に、平日に一万円で泊まれる「ひとり旅プラン」を設定している。日本一アルカリ度が高い「美肌の湯」や手づくりの創作料理を楽しみ、日常のストレスを洗い流してもらうプラン。女性なら、肩こり予防のジム体験やエステもオプションで選べる。


 人口が減る時代、旅館が生き残るには、なじみ客をいかにつくるかが課題。ホテル五龍館は、ひとつの答えを示そうとしている。


(2005年10月)


ホテル五龍舘


長野県北安曇郡白馬村八方温泉

JR長野駅からバスで約1時間、八方下車徒歩10分。JR大糸線白馬駅から車で約10分。

0261(72)5011

http://www.goryukan.jp/





 丹後半島の西のたもとに「もう一つの天橋立」がある。その名も「小天橋(しょうてんきょう)」。その日本海と久美浜湾に挟まれた砂嘴(さし)上にこの宿はある。


 二つの「悠然とした海」に挟まれているから、宿の名は「悠悠」。以前は、京都府が運営する地元高齢者向けの宿泊施設だった。「最初から民間では、この立地に宿は建てられなかったと思う」と若女将(おかみ)の沖田真奈美さんが説明してくれた。


 三年前に、地元で旅館を経営する沖田さんが運営を任され、リニューアルした。全室を改装してトイレを付け、大浴場には露天風呂を整備。そして旅館料理の常識を破り、食事はオールビュッフェにした。


 それも、料理人とお客が会話できるよう屋台式にして、にぎりずし、焼き魚、ステーキの作りたてを提供。これが、お年寄りから子供たちまでに受けた。季節ごとにテーマを決め、デザートもふんだんに用意している。秋は「クリと芋のスイーツ」だ。


 沖田さんは、「民間になったら急に値段が高くなったと言われないよう工夫してきた。職員は給与こそ民間並みになったが、そのまま引き継ぎ地元の雇用を守った」と振り返る。現在、関西を始め全国から集客があるが、一番多いお客は地元の人たちだ。そして地元の評判が結果として遠方のお客を増やすことにつながっている。


 これからの時代、公営施設の民間移管が増えるだろう。その先駆けとなる宿が、風光明媚(めいび)な浜に立っている。


(2005年9月)


みなと悠悠


京都府京丹後市久美浜町湊宮2102-1

北近畿タンゴ鉄道丹後神野駅から車または送迎バスで約5分。

0772(83)2329

http://yuuuyuuu.com/





よい宿をみつけるポイントのひとつに「地元での人気」がある。その点、この宿を忘れるわけにはいかない。


全八室。玄界灘に面して建つ宿に、日夜ひっきりなしにお客さんが出入りする。人気のひとつは、お風呂。天と海を見渡す屋上ジャグジーや海水を利用した露天風呂、麦飯石の岩盤浴。温泉ではないのに、湯めぐりに心身がほぐされる。そして、宴会。もともと宴席で成り立ってきた宿なので、毎日どこかから楽しそうな唄声が遠く聞こえてくる。


そして最大の人気の秘訣。それは、大宴会場を改造してできたダイニングでの「食と健康のバイキング」だ。地産地消にこだわり、新鮮な魚介類や有機無農薬野菜を使った約五十種類の手作り料理がずらりと並ぶ。ごはんはかまどで炊かれ、魚介は炭火焼き。惣菜も次々と運ばれてくる。漬物ひとつまで、毎日農家で採れた安心できる素材が使われているので、週末には家族連れが行列を作る。


八幡屋は、天井一面にぶどう棚が広がる人気レストラン「ぶどうの樹」(岡垣町)や、自然食惣菜店を全国のデパートに出店する「野の葡萄」のグループ店。というより、社長の小役丸さんの実家が、この旅館なのだ。

 

 「お部屋にトイレもなく、イナカの民宿と思ってください」。そう言って笑う社長の夢は、食を通じて人々が集う場を作ること。今夏には、宿の目の前に、コンテナを改造して寿司屋台を造った。メニューは「海のおまかせ」のみ。この宿には、土の匂いと汐の香りがする「本物の食」が残っている。


(2005年8月)


宿膳八幡屋満海の湯しゅくぜん・やはたや・まんかいのゆ)


福岡県遠賀郡岡垣町大字原670-6

JR鹿児島本線海老津駅より波津方面行きバスで15分、手野下車徒歩10分。

093(282)0031


http://www.budounoki.co.jp/m2_stay/yahata/