私は服装には無頓着なので、洋服はサイズが合って着心地がよければ

それで十分だと思っていました。

 

そのため、私は洋服にお金をかけません。

安い洋服でも、清潔にしていればそれで良いのです。

 

生活費に余裕がないことが、そう考える理由かもしれませんね。

 

しかし、なぜか私は銀行口座をふたつ持っているんです。

ひとつはメガバンク、もうひとつは地方銀行です。

 

先日、休みの日に買い物に行ったついでに、「口座はまとめたほうがいい」

と思い、あまり使ってないメガバンクの口座の解約手続きに行きました。

 

口座の残高を確認したところ、千円未満の金額が750円でした。

 

キャッシュカードで千円単位を全部引き出して、残りはあきらめて

預金通帳と一緒に放棄すれば、面倒な解約手続をしなくても

 

よかったのですが、750円あればお弁当が買えます。

 

私はお弁当を買うために、口座の解約をすることにしました。

 

窓口で口座の解約を申し出ると、1枚の解約用紙を渡され、

日付と口座番号、名前を記入し、印鑑を押して窓口に提出しました。

 

しばらく座って待っていると、銀行員さんが私のそばにやってきて、

「顔写真の付いた身分証明書を見せてください」と言いました。

 

きっと、安っぽい服装の私の姿を見て、怪しいと思ったのでしょうね。

 

私は近くの百貨店の駐車場に車を停めていたため、車の中にある

免許証を取りに戻るには、往復で10分以上かかることを説明しました。

 

そして、「印鑑と通帳があっても解約できないんですか?」と尋ねると、

「解約の場合は証明書が必要です」と言われ、応じてもらえませんでした。

 

私は信用してもらえないように感じ、とても悔しく思いました。

 

仕方がないので、買い物をした百貨店まで行き、急いで免許証を

持って再びその銀行に戻りました。

 

その時刻は14時55分でした。

 

私が待っている間に15時になり、店のシャッターが閉まり、

残ったお客は私ひとりになりました。

 

静かな店内では、銀行員さんたちが黙々と仕事をしていました。

私は閉店後の銀行の中を見るのは初めてで、営業中とはまったく

 

違った雰囲気が漂っていました。

 

証明書を求められた私は、何か悪いことをして捕まえられた

ような気持ちになりました。

 

もしかしたら、私は拾ったバッグの中の通帳と印鑑を持って、

預金を引き出しに来た悪人だと思われたのかもしれません。

 

なかなか手続きが終わらず、不安は増すばかりでした。

ひとりで待つ私は落ち着かず、ソワソワして早く外に出たいと思いました。

 

やっとのことで解約手続きを終え、銀行員さんに案内され、

非常口のようなところから外に出ました。

 

外に出ると、まるで解放されたような気分でした。

 

ATMは人を見て判断しませんが、銀行員さんは私の姿を見て

不審に思ったのでしょう。

 

貧乏な私にとって、メガバンクは合わないのかもしれません。

 

私は帰る途中、コンビニに寄って引き出したお金でお弁当を買い、

家で食べました。

 

食べ終わった後、鏡で私の姿をじっくり見ました。

情けない姿です、私は銀行にとって、750円の信用もないようです。

 

以前、会社の先輩に「お前は中身がないんだから、服装だけはきちんとしなさい」

と叱られたのを思い出しました。

 

やはり、身なりは大切ですね。

 

今度ボーナスが出たら、少し見栄えのいい洋服を買うことにします。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

私は小学生の頃、先生から「嘘をついてはいけません。

噓つきは泥棒の始まりです」と教えてもらったことを覚えています。

 

しかし、私の人生では、嘘をついたことも、嘘をつかれたことも

たくさんあります。

 

私が最初に自転車に乗ったとき、怖くてうまく運転できませんでした。

それを見ていた父が、「お父さんがずっと後ろを持って支えてあげるから

 

安心して運転しなさい」と言って、後ろから私と一緒についてきました。

でも、いつの間にか手を離された私は、それに気付かず、

 

ひとりで自転車に乗れるようになっていました。

 

こんな嘘なら、許されますね。

 

では、次のような嘘はどうですか?

 

私が高校生のとき、失恋した私に親友が「お前のようないい人間には

もっとふさわしい人がきっと見つかる」と言って慰めてくれました。

 

でも、私にふさわしい人ってどんな人でしょうか。

理想が高すぎるってことでしょうか。
 

会うたびに誰にでも「まあ~かわいいお子さんですね」とほめるお母さん。

自分の子供が、そんなにかわいくないのでしょうか。

 

私が中学生のとき、親戚のおばさんが入試直前の私に「あなたなら必ず

合格するから、頑張ってね」と勇気づけてくれました。

 

おばさんは、学校での私の成績はまったく知りません。

でも、嘘だとわかっていても、とてもうれしく思いました。

 

時間をかけて料理を作った妻に、私の口に合わなくても

感謝の気持ちで「おいしいね」とほめます。

 

夫婦仲は良くなりますが、何度も同じ料理が出ます。

 

風邪を引いて高熱だった子供の頃の私に、「この薬をのんでごらん、

すぐ熱が下がるから」と母親はとてもやさしく言いました。

 

でも、母親は薬剤師の資格を持っていませんでした。

 

約束した時間に10分遅刻した友人に、「私も少し前に着いたばかり」

と安心させました。

 

でも、彼より30分前に到着した私は、情けない気持ちになりました。

 

久しぶりに旧友と出会い、少し立ち話をした後、「今度一緒に飯でも食おう」

と別れ際に親しみを込めた言葉がありました。

 

しかし、嘘のように、その後まったく連絡がありません。

 

私の周りには「お金がない」と言いながら、高級車に乗ったり、

ブランド品を身につけている人がいます。

 

私はそんな人たちに、「立派な物を持っているのは羨ましいですね」

と言います。

 

決して、お金の使い過ぎだから自業自得だとは言いません。

 

会社の採用面接の結果、「今回は採用を見送りさせて頂きたいと思います」

と通知が届きますが、今回はダメでも次があるように錯覚させる

 

優しいお言葉ですね。

 

私は、ケンカばかりしている夫婦を見て「あの式場で誓った永遠の愛は

嘘だったのか」と思うこともあります。

 

でも、離婚しないのは許される嘘なのでしょうね。

 

私のブログも許される嘘を交えながら書きたいと思いますので

 

楽しく読んでもらえればうれしく思います。

私は子供の頃からとても貧しかったので、多くの人に助けられました。

 そのためか、私には心の繋がった多くの友人・知人がいます。

 

これは、 老人ホームで働くひとりの友人のお話です。

 

老人ホームでの介護職に足を踏み入れたばかりの頃、

 友人は未熟な新人スタッフとして、

 

先輩たちの指導を受けながら仕事を覚えていました。

 

介護の仕事には、食事の世話から入浴、排せつなど多くの

仕事があり、さらには、他のスタッフや看護師との協力、

 

そしてコミュニケーション能力も求められます。

 

最初は、戸惑いと疲労感に包まれる日々でした。

やがて一人で介護を任されるようになりましたが、失敗の連続でした。

 

入居者さんの中には、若い頃に学校の先生をしていたという、

とても気難しい女性がいました。

 

その女性は、掃除や整理整頓に非常に厳格でした。

彼女のお部屋に入るたびに緊張が走り、キチンとできなくて

 

何度も叱られました。

 

しかし、やがて気づきました。

 

彼女が厳しく接していたのは、彼にだけであり、他のスタッフには

優しく接し、いつも感謝の気持ちを伝えていたのです。

 

おそらく、彼の介護の仕方が彼女には不満だったのでしょう。

心の中では「どうして自分だけに厳しいのか」と思っていました。

 

それでも彼は、いくら叱られても「これは勉強だ」と受け止め、

歯を食いしばって、少しでも良い介護ができるように努力を重ねました。

 

彼女は、学校の先生としての経験から、スタッフを生徒のように

見守っていたのかもしれません。

 

彼は、彼女から見れば老人ホームのスタッフの中では劣等生

だったのかもしれません。

 

そしてある日、彼女の体調が急速に悪化し、食事もあまり

摂りたがらなくなりました。

 

彼は、彼女に嫌われていることを分かっていましたが、

そんな彼女を放っておくことはできませんでした。

 

彼は、できるだけの配慮をもって、優しく彼女を介護しました。

しかし、彼女は最終的にこの世を去りました。

 

彼女がいなくなったことで、彼の心には大きな穴があいたように

感じました。

 

彼女が亡くなった直後、先輩から彼に一通の手紙が渡されました。

それは、彼女が亡くなる前に書いたものでした。

 

彼は驚き、すぐに封を開け読みました。

 

弱々しい筆跡で綴られたその手紙には、彼女からの言葉が

込められていました。

 

 

「○○さん、あなたがこの手紙を読んでいる頃、きっと私は

天国にいることでしょう。

 

私はあなたがこの施設に入ってきたとき、亡くなった私の息子と

そっくりで驚きました。

 

私の息子は、私が甘やかしたせいで弱い人間になってしまい、

人生の試練に耐えきれず、自ら命を絶ってしまいました。

 

今まであなたにつらく当たってしまって、ごめんなさい。

 

あなたの将来のことを考えると、私はあなたに強い人間になって

ほしかったのです。

 

でも、あなたは本当によく頑張ってくれて、私の面倒を

よく見てくれました。

 

とても嬉しかったです。

 

私は死んでも、あなたがこれから強く生きてくれることを

天国から見守っています。  心の母から、あなたへ」

 

 

彼はこの手紙を読んで、涙が止まりませんでした。

 

彼女の想いは彼の心に深く刻まれ、彼は彼女が望んだように

強く生きる決意をしたそうです。

 

私は最近、彼からこのような話を聞きました。

 

彼女からの手紙は、彼にとって人生の宝物であり、

彼女は彼の心の中で永遠に生き続けるでしょう。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

私がスーパーで買い物をしているとき、クルマ型カートに乗った

3、4歳くらいの子供が、私とすれ違いざまに「バイバイ」と手を振りました。

 

その子は私の目を見て、一生懸命に手を振っていました。

そんな無邪気な子供を無視するわけにはいきません。

 

私は恥ずかしかったので、周りの目を気にしながら遠慮がちに、

その子の目を見て笑顔で小刻みに手を振りました。

 

私が手を振るのを見た母親は、自分のことのように嬉しそうでした。

私が手を振った後も、その子は他のお客にも「バイバイ」

 

と言って手を振っていました。

 

そのとき私は、誰とでも愛嬌を振りまく純真な子供はいいなと思いました。

 

話は変わります。

 

私の職場には、とても仲の悪いふたりの女性がいます。

ひとりは40代で、旦那さんと性格が合わず離婚した、子供のいない女性です。

 

もう一人は50代で、脳梗塞で半身不随となった旦那さんの世話を、

義母に任せて別居し、ふたりの子供を育て上げた苦労人です。

 

若い方の女性は、年上の女性を「病気の旦那を捨てた非情な人」と言い、

一方で年上の女性は、年下の女性を「少し美人で男性にちやほや

 

されてきた、苦労知らずのわがままな人間」と言っています。

 

ふたりとも気が強く、顔を合わせるたびに職場でいつも喧嘩をしています。

 

でも、私に対しては、ふたりとも仲良く接してくれます。

ふたりは、私にとって何でも話してくれる、いい人たちです。

 

私は、ふたりから相手の悪口ばかり聞かされます。

 

話を聞いても、別にどちらかが悪いというわけではありません。

それぞれの立場の違いだと思います。

 

私に話すことで、うっぷんが晴れるのでしょうか。

 

しかたがないので、私は両者のいいところを取り上げて

話すようにしています。

 

でも、お互いに聞く耳をもちません。

 

そのとき、私は先ほどの無邪気な子供のことを思い出しました。

 

このふたりも、きっと子供の頃は誰にでも愛嬌を振りまく、

可愛い子だったはずだと思いました。

 

私はこのふたりを見て、人が生きていくためにはたくさんの

障害物があり、それを乗り越えるたびに人生観が変わって

 

いくのだと思いました。

 

私は、このふたりが仲良くなるには、たとえ人生観が違っても、

相手を気遣う愛が必要だと思いました。

 

でも、よく考えると、このふたりは、嘘とお世辞だらけの今の世の中で、

自分の気持ちを隠さず相手に伝える、まるで姉妹のようにも思えます。

 

本当に相手のことが嫌いなら、口もきかないはずです。

もしかしたら、この喧嘩は、愛情表現なのかもしれませんね。

 

私は、女性の気持ちがよく分かりません。

 

私は温かい気持ちでふたりの姉妹喧嘩を見守ることにしました。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

私はブログを書き続けると、疲れて頭がぼんやりします。

 

今回は、疲労回復のための「休憩ブログ」です。

 

むかしむかし、あるところに寂しがり屋の少年がいました。

彼には、大好きなお爺さんがいました。

 

ところが、そのお爺さんは病気で死んでしまいました。

少年は、大好きだったお爺さんが亡くなり、とても悲しみました。

 

彼は、人が死んでしまうということは、とてもつらい別れだと思いました。

なんとか自分が死なない方法はないかと考えました。

 

すると、風の便りで、この世には不老不死の薬があると聞きました。

 

彼は近くに住むお年寄りに、「不老不死の薬があったら、飲んでみたいですか?」

と尋ねました。

 

お年寄りは彼に、「そんなものは飲みたくない」と答えました。

 

彼は、「長生きできるのに、どうして飲みたくないのですか?」

と聞きました。

 

すると、お年寄りは、「そこにいるキジについて行きなさい」と言いました。

 

そして、「山奥に仙人が住んでいるから、欲しければ不老不死の薬を

くれるはずだ」と言いました。

 

続けて「そうすれば、私がなぜ不老不死の薬を飲みたくないのか

わかるだろう」とも言いました。

 

彼は、キジに連れられて仙人の住む山奥へ向かいました。

そこには、白い髭をたくわえたひとりの老人がいました。

 

彼は仙人に、「ここには不老不死の薬があると聞いて、

ここにやってきました」と言いました。

 

仙人は、「誰から聞いたかは知らないが、確かにここには一粒だけ

不老不死の薬がある」と言いました。

 

仙人は彼に、「この薬を飲んでも、決して楽しいことばかりではない。

その覚悟はできているか?」と聞きました。

 

彼は、「死ぬほど悲しいことはないので、覚悟はできています」と答えました。

 

それを聞いて、仙人は彼に不老不死の薬を渡し、彼はそれを飲みました。

 

それから彼は、十分すぎるほどの時間をかけて、たくさんの親友を作り、

楽しく過ごしました。

 

そして、数十年が経ちました。

 

彼はいつまでも若いままでしたが、彼が作った親友たちは年老いて

寿命が尽き、次々と亡くなっていきました。

 

彼は気付きました。

 

自分だけが長生きしても、楽しいのは数十年だけ。

 

その後は、周りの親しい人が次々と亡くなっていくのを見届けることになり、

それは、とてもつらいことでした。

 

以前、お年寄りが「不老不死の薬を飲みたくない」と言った理由がわかりました。

 

彼は仙人のもとへ戻り、「自分だけが長生きしても、つらいことが

わかりました」と話しました。

 

彼は、「これからどうしたらいいのでしょうか?」と仙人に尋ねました。

 

すると仙人は、「ここに不老不死を止める薬がある。これを飲みなさい」

と言いました。

 

彼は、「それを飲むと、自分は死んでしまうのですね?」

と仙人に聞きました。

 

仙人は、「そうではない。たとえお前の肉体は死んでも、お前が人を深く

愛せば、お前は人の心の中でいつまでも生き続けるのじゃ」

と答えました。

 

仙人は彼に、永遠に生きることよりも、人を愛し、今を大切に生きなさい

と教えてくれました。

 

彼は、そのとき、「天寿を全うする」という言葉の意味を理解しました。

 

彼は仙人からもらった薬を飲み、寿命が来るまでの限られた時間の中で、

多くの人を深く愛しました。

 

そして彼は亡くなりましたが、彼は愛した人の心の中で、

子孫に受け継がれ、今でも永遠に生き続けています。

 

実は、愛こそ彼が探していた不老不死の薬だったのです。

 

こんなブログでごめんなさい。

私には今でも忘れられない過去の出来事があります。

 

それは、私が結婚した頃の話です。

 

私がある支店に勤務していたとき、今の妻と結婚することとなり、

私の上司である課長に仲人をお願いしました。

 

課長はふたつ返事で仲人を引き受けてくれました。

 

結婚した後も、私たち夫婦はよく課長のお宅に招かれ、食事をしながら

いろいろと楽しくお話をしました。

 

その中で、私の記憶によく残っているのが、課長の奥様が話したことです。

 

奥様は課長が仕事に専念できるように、身の回りのことや近所付き合い、

町内会の行事、子供の学校行事など、さまざまなことをこなしてきました。

 

課長が出張のときは、着替えや常備薬、スマホの充電器、電気カミソリなど、

旅先で困らないように揃えていました。

 

そのほか、奥様は課長のためにいろいろ尽くしてきたようです。

 

でも、課長はその奥様に一度も「ありがとう」とお礼を言ったことが

なかったそうです。

 

それについて、課長はこう言いました。

 

「男はそんなにありがとうなんて言うものではない。

心で感謝しているのだから、それを察してくれるのが妻だ」

 

それに対し、奥様は私たち夫婦に言いました。

 

「心で思っているだけではダメ。やはり言葉で言ってもらえるほうが、

何倍も嬉しいのよ」と教えてくれました。

 

そのとき、夫婦というものは「感謝の気持ちがあっても言葉にしないと

やさしさは伝わらないんだな」と思いました。

 

それから数か月後のことです。

 

私が課長と同じ部屋で仕事をしていたときのことです。

突然、課長が「胸が痛くて苦しい」と私に訴えてきました。

 

課長は以前から不整脈の持病があり、定期的に病院に通院して

薬を飲んでいたのを聞いていました。

 

不整脈が原因で血液が固まり、血管が詰まると大変なことになる

と知っていたので、すぐに救急車を呼びました。

 

救急車が来るまで課長の背中をさすっていました。

 

そのとき、苦しみながら課長が「妻に伝えてほしいことがある」

と私に訴えました。

 

私が「何ですか?」と聞きましたが、そのあとは弱って言葉にならず、

何を言ったのか分かりませんでした。

 

そのあと、すぐに救急車が到着し、病院へと運ばれました。

私はすぐに奥様に連絡し、彼女もすぐに病院に駆けつけました。

 

そのときにはすでに課長は、お医者さんの懸命な処置にもかかわらず、

回復することはなく、永遠の眠りにつきました。

 

心筋梗塞だったようです。

 

その後、葬儀も終わり落ち着いたころ、私は課長の最期の様子を

伝えるために奥様を訪ねました。

 

私は「課長の最期に、奥様に伝えたいことがあると言っていました」

と話しました。

 

奥様は「何と言いましたか?」と、私の目を見つめながら、

非常に関心のある様子で尋ねました。

 

課長が何を言ったのか分からないと言うつもりでしたが、

 

私はその目を見て、思わず「ありがとうと言っていました」

と伝えました。

 

すると奥様は、両手で私の手をしっかりと握り「ありがとう」

と言って泣き崩れました。

 

奥様にとって、「ありがとう」の言葉は待ち望んでいたもので、

本当にうれしかったようでした。

 

課長が私に何を言おうとしたのかは、神様にしか分かりません。

 

でも、私が奥様に伝えた「ありがとう」の言葉は今でも後悔していません。

 

私は今でも、彼の最期の言葉が「ありがとう」だったと信じています。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

去年の秋ごろのことです。

 

私は近所の畑を借りて、小さな家庭菜園をしています。

 

私が畑の手入れをしていると、畑の持ち主であるお婆さんが

やってきました。

 

彼女とは長い付き合いで、今まで、野菜作りについていろいろ

教えてくれました。

 

そのおかげで、毎年、美味しい野菜が作れるようになりました。

 

そんな彼女ですが、そのときはいつもとは違って、とても深刻そうな

暗い顔をしていました。

 

彼女の話では、先日、遠く離れて生活している息子夫婦が

家に来て、ひとり暮らしをしている彼女のことを心配したそうです。

 

彼女はまだまだ元気なようですが、75歳をとうに越えていました。

それで息子は彼女に、そろそろ老人施設に入ることを勧めたようです。

 

そして、いくつかの老人ホームの入所案内のパンフレットを

持ってきて説明したそうです。

 

私は「老人ホームに入れば、食べることに不自由しないし、

なんでも職員さんがお世話してくれるから、安心して

 

暮らせるんじゃない?」と言いました。

 

彼女は私の言ったことに腹を立てて、亡くなったご主人の

話を始めました。

 

彼女のご主人は、亡くなるまで老人ホームで過ごしていたそうです。

 

ご主人の大好きだったリンゴとプリンを持って、面会によく

行ったそうです。

 

そして彼女がご主人に「今、何か欲しいものはない?」と聞くと、

そこで聞く言葉はいつも、「家に帰りたい」という切実な願いでした。

 

ご主人は、住み慣れた家での生活が忘れられなくて、

家に帰りたくて仕方がなかったようでした。

 

その施設では、多くのお年寄りが生活していました。

 

中には施設での生活を楽しんでいる人もいましたが、

彼はそうではありませんでした。

 

彼は、施設のように冷暖房が完備され、栄養バランスの取れた食事や

介護が受けられる環境でなくても、外気の暑さ寒さを肌で感じ、

 

採れたての新鮮な野菜を食べ、自分の生まれ育った家で生活を

したいと願っていたようです。

 

彼女が面会に行って帰るとき、ご主人に、「一緒に連れて帰ってくれ」

と涙ながらに言われ、いつも後ろ髪を引かれる思いで帰ったそうです。

 

ご主人は病弱で車いす生活だったため、家に連れて帰っても

彼女がお世話をすることはできませんでした。

 

彼女は、ご主人の気持ちが痛いほど理解できたようでした。

 

だからこそ、彼女は老人ホームに入らず、いつまでも自宅で自由に

暮らしたいと願っていたようです。

 

私は彼女の話を聞いても、どうしてあげることもできず、

ただただ彼女の寂しそうに帰っていく背中を見送るだけでした。

 

それから数か月が経ち、私はいつものようにお休みの日に畑に行き、

野菜を植えるために畑を耕していました。

 

すると、向こうから彼女が私に向かって駆け寄ってくるのが見えました。

 

彼女の顔を見ると、とても嬉しそうで、手招きをして「私の話を聞いて」

と呼んでいます。

 

私は作業の手を止め、息を切らせてそばまで近寄った彼女の話を

聞きました。

 

彼女は開口一番、「今、息子から電話があって、息子夫婦が

帰ってくるのよ」と言って、私の手をぎゅっと握りました。

 

話を聞くと、遠く離れて住んでいた息子が転勤で地元に戻ることに

なり、彼女は息子夫婦と一緒に暮らせるようになったそうです。

 

私はそれを聞いて、自分のことのようにうれしく感じ、

感動で胸が震えました。

 

彼女にとっては、最期まで自宅で自由に暮らすことが幸せなんですね。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 

私の姪で、今年学校を卒業してスーパーに入社した子がいます。

彼女が4月に入社し、半年が過ぎようとしています。

 

私は彼女を幼いころから見ているので、彼女の性格はよく知っています。

彼女はとても心配症で、何事にも自信を持って行動できないタイプでした。

 

そんな彼女ですが、先日、仕事が休みの日に私の家に遊びに来ました。

 

私は彼女に「仕事に慣れて頑張っている?」と聞きました。

 

すると彼女は「なかなか仕事が覚えられなくて、いつも上司に

叱られているんです」と答えました。

 

その上司は「これくらいのことができなくてどうするの?

仕事を覚える気があるんですか?」と彼女を厳しく指導するようです。

 

彼女は仕事に対してすっかり自信を無くし、自分はここの仕事

には向いていないと思い、1年先輩の社員に仕事を辞めたい

 

と相談したそうです。

 

するとその先輩社員は「あの上司はあなただけではなく、みんなに

厳しくて、私にも入社した頃はとても厳しかったのよ」

 

と慰めてくれました。

 

それを聞いて彼女は自分だけではなくみんなも同じ思いを

したのだと知り、気が楽になったようでした。

 

ある時、牛乳を補充していると、お年寄りのお客が近くの

鮮魚コーナーからコハダの酢漬けのパックを持ってきて、

 

「これはおいしいの?」と聞いてきたそうです。

 

彼女は今までコハダは食べたことがありませんでした。

 

彼女は鮮魚の作業場にそれを持って行って「これは美味しいですか?」

と聞きました。

 

すると鮮魚のベテラン社員が「ここの売場には美味しくないものは

置いていない!!」と怒って彼女を睨みつけ、とても機嫌を悪くしたようです。

 

彼女は叱られたような気がして、大きなショックを受けました。

 

スーパーには多くの商品が並んでいて、すべてを食べてその味を

知っているわけではありません。

 

それから彼女は、お客から「美味しいの?」と聞かれても、

「食べたことがないのでよくわかりません」と正直に答えました。

 

でもその時のお客の反応を見ると、「何か冷たい接客だな」

と思ったようです。

 

それで私に「どのように接客したらいいですか?」と聞いてきました。

 

よほど美味しくない商品ならクレームもあるだろうし、今の時代、

そもそもまずくて食べれないような商品はお店に置かないだろう

と思いました。

 

私は商品の知識はないし、味についてはよくわかりませんが、

「自分の勤めているお店の商品にもっと自信を持ちなさい」

 

と答えました。

 

彼女はきょとんとしていましたので

 

「その商品を作った人たちに感謝し、心の中で味見をしなさい

苦労して作った人の気持ちが伝われば、どんな商品でも美味しく

 

感じるはずです」と答えました。

 

そして自信を持って「私にはとても美味しく感じます」

とお客に言いなさい。

 

人によって美味しさの感じ方は違うのだから。

 

お客に笑顔で堂々と「美味しいですよ」と言うことで、お客は

安心して買うでしょう。

 

きっと先ほどの鮮魚売り場の社員も、それを心得ているのでしょう。

 

商品知識を学びながら少しずつ自信を持つことで、彼女は

一人前になっていくのではないかと思いました。

 

読者の皆さまの中で、もしスーパーにお勤めの方がいらっしゃったら

これは参考にしないで下さいね、あくまで私の素人的な考えです。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

前回の続きです。彼はアラフォーの独身男でした。

 

子供の頃、父親を亡くし、母親に育てられました。

しかし、母親は病弱で、なかなか思うように働けませんでした。

 

そのため、彼は高校に入学しましたが、お金が続かず1年で中退しました。

中卒の彼を雇ってくれたのは、肉体労働の建設現場でした。

 

厳寒の冬と酷暑の夏は、彼に生きることの厳しさを教えてくれるには、

十分な環境でした。

 

そんな彼でも、そこで10年勤務しましたが、不景気で勤めていた会社は倒産。

 

その後、見つけて入った会社は、実はブラック企業で、数年間頑張りましたが

限界を感じて退職。

 

自分でもできる仕事はないかと探し、やっと見つけたのがスーパーのパート。

 

そこの精肉部門の仕事に就き、冷蔵庫の中の肉のかたまりを見て、

気味が悪いと感じたことを覚えています。

 

早朝から開店準備のために時間に追われ、もたもたしていた彼は、

「早くしろ」と先輩から怒声を浴びました。

 

先輩に叱られ続ける彼は、ぶつ切り包丁で思い切り骨付き肉を

たたくことが唯一のストレス解消方法でした。

 

デスクワークでパソコンを操作しながらスマートに仕事をする人を見て、

肉汁で汚れた白衣を着た彼は、清潔な環境で働けることの

 

しあわせとはこういうことかと思いました。

 

彼女のいない彼は、仕事が休みの日に出かけたときによく見る、

仲良く手を繋いで楽しそうに歩きながらおしゃべりをする

 

カップルを見てこれが愛することのしあわせなのかと思いました。

 

お天気のいい日曜日、友達のいない彼は、ひとりぶらぶら公園を

歩いていました。

 

そこにはブランコがあり、乗っている子供を父親が押して勢いを

つけていました。

 

そのすぐそばで母親が「きゃっきゃ」と喜ぶ子供の笑顔をみて、

嬉しそうにしていました。

 

この仲のいい親子を見て、今でも独身の彼は、これが家庭の

しあわせというものなのかと思いました。

 

今では彼の母親は介護が必要となり、思う存分遊びまわれる

人たちを見て、自由に過ごせるしあわせとはこういうことか

 

と思いました。

 

学歴はない、お金はない、自由な時間はない、結婚できない、

ないないづくしの彼。

 

同じ人間なのに、どうして自分の人生にはしあわせが

ないのだろうかと思いました。

 

母親を息子がひとりで介護するのは、とても大変なことでした。

 

彼は、母親が元気なら自分はもっと違った人生だっただろう

と思いました。

 

でも、やさしい彼は、母親を老人ホームに入れればもっと

自分の時間が取れるのに、自分を育ててくれた母親の面倒は

 

最期まで自分がみると決めていました。

 

ある時、母親の介護をしている時、母親が彼に「ごめんね、

私のせいであなたの人生が台無しになってしまったのね、

 

今までありがとう」と涙を流して言いました。

 

そのとき彼のこころに衝撃が走りました。

 

母親が自分のことをこれだけ気遣ってくれたことに、

こころを打たれました。

 

彼は感動で涙を流しながら、自分にとってしあわせとは

これだと気づきました。

 

そして自分の人生は決して間違っていなかったと思いました。

 

彼は、しあわせとは人のこころの中に潜んでいて、

自分で見つけるものだと気がつきました。

 

しあわせは彼の一番身近なこころの中にあったようです。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。

私が押し入れの中を整理していると、随分前に親しい友人からもらった

手紙を見つけました。

 

私は懐かしい手紙を読み返してみました。

そして彼の許しを得たので、私のブログに掲載させてもらいました。

 

 

「俺はこの世の中に生き続けていいのだろうか。俺は世の中の何にも

役に立っていない。

 

病弱な母親の面倒をみるのに精一杯で、責任ある仕事も任せてもらえない。

 

世間の人は俺を見て、どうしていつまでも独身なんだと、

だらしのない人間のように思っているようだ。

 

どうせ俺は男性の中の残り物。

いまさら安くしても女性はもらってはくれない。

 

独身のほうが気ままでいいとうそぶいて、陰で寂しく惨めに泣く俺。

歳を取っても非正規雇用で、家庭も持てない希望のない人間だ。

 

友人の子供が小学校に入って、彼は運動会に行ってきたようだ。

 

子供の写真を見せてくれるが、所詮他人の子。

かわいいどころか、自分が惨めになるだけ。

 

少し前、母の日だったらしく、友人が花のプレゼントを用意して、

子供から彼の妻に手渡して贈らせたという。

 

自慢じゃないが、独身の俺にそんな芸当はできないし、妻も子もいない。

親として家族を養う辛さはないが、その甲斐性もない自分が惨めだ。

 

先輩に生きる意味を聞いてみたところ、「お前のように、思うように

いかない人生こそ、涙があり、ドラマとしては見ごたえがある」と言う。

 

俺は悲劇の主人公なんだろうか。

なんと無責任な解答だ。

 

でもよく考えると、先輩の言うことも一理あるかもしれない。

 

俺のような貧乏人は、経済の何の役にも立たない。

物を買うと言っても、売れ残りのような処分品ばかり。

 

少しは贅沢でもして、消費の役に立ちたいが、それは夢のまた夢。

 

仕事が終わって家に帰ると、母が俺に、「今日は遅かったね、背中が痛くて

寝返りが打てない、あなたが早く帰ってくるのを待ってたのよ」と

 

悲しく痛々しそうな声で訴えてくる。

 

これを聞くと、やはり俺は母のために生き続けなければならないと思う。

病弱でやせ衰えた母の面倒は、俺がみなくて誰がみる。

 

自分の思うように生きるのも人生、そうでないのも人生。

悔いがあってもなくても、自分の気持ち次第でどうにでもなる。

 

人が俺のことをどう思ってもいいし、同情してくれなくてもいい。

こんな俺を見て、自分はまだマシだと思えたら、それでいい。

 

幸せなんて俺には無縁なもの、そんなもの探しても見つかりっこない。

人の幸せを見て羨ましがることしかできないのが俺の人生。

 

先輩が言っていた、見ごたえのある悲劇のドラマの主人公として

俺は生きていく」

 

 

手紙の文章は彼の気持ちを伝えるために、私のブログ風に少し書き換えました。

 

多分この手紙は夜中に書いたのでしょう。

とてもテンションが上がっていました。

 

でも私は、彼の手紙から彼の気持ちが痛いほどわかりました。

 

この手紙を読んだ私は、今更ながら、悲劇の主人公である彼を

幸せに導くために名脇役として今後のドラマの続きを演じたいと思います。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。