その名の通り、生きるということとイコールと言っていい、同価値の物・人・行為等です。
「これがあるから頑張れる」といった感じのもの。
私には今、それが無い。
私くらいの年齢(もうすぐ26歳)となると、さしずめ恋人だったり、むしろ婚約者、子供とかになってくるのだろう。(そんなビジョンがこれっぽっちも無いことは、また別のお話)
「生きる意味とは」なんて大仰なことを語るつもりはないし、「何故・何のために働いているのか」というのも十分すぎるほど大きな命題だ。
というかそんなものはミスチルの「彩り」を聴けば大抵解決するようにも思う。
生き甲斐、と私みたいな小市民が言うのは大袈裟すぎるので、日々の楽しみ、とでも言い換えてみる。それはなんだろう?
仕事自体はまあキツい。理不尽なブラックさは無いのだが、とにかく拘束時間が長い。
毎日家に帰って寝て、朝起きて出勤することの繰り返しだ。
18時に家に帰って何か趣味に打ち込むとかはまるで無理な話。
では休日に前々から楽しみな予定を入れればいいではないか、と人は言うかもしれない。
残念ながら私はいま静岡に一人。何もすることがない(相手もいない)
そもそもそんなに楽しみなことや生き甲斐は持たないほうがいいのではないか?
それが奪われたとき(予定が流れたとき)、より一層の絶望が襲ってきはしないか?
感情の振れ幅は最小限に留めておくべきではないのか?
そう思う一方で、大きな生き甲斐があるからこそ、それと同等の苦悩や困難を乗り越えていけるのではないか、とも思う。
大きな絶望を受け止めてもいいと思えるだけの希望を携えることを、生き甲斐と呼ぶのかもしれない。
私には生き甲斐が無い。
ただ、小さな楽しみはある。
それは前々から予定の決まっているものだった。
その日に会社の試験が入ってしまい、一時は失望を禁じ得なかった。
だが試験会場を千葉県に設定することで、両立を企てている。
行ってやるよ、幕張メッセ。
