※ネガティブ要素が多いので、注意してください。

思考整理したいのもあって文章に書き出しました。

 

治療期間中はずっと必死に生きるのはなんでだろうと考えることがあります。

 

僕の経験から、他人に期待をすることはしないようにしています。

そして、恋人や結婚、子育てというものも、他人と生きることに関しても

興味がありません。期待をしてしまうと、外れたときに感情が動くことがいやだからです。

 

それは、自分の勝手な期待を相手に押しつけていることとも言われています。

 

自分の人生を謳歌するにはと考えたときに、

おじいちゃんになって何を楽しみに生きるんだろうかと思いました。

 

学生時代に先生に聞いたことがあります。

年金もらって、温泉とかのんびり行ったりできるんだよ

と返事をもらいました。

 

今となっては、もらえるかわからない年金を支払っていますし、

物価高騰によって、年金生活で生きていけるかギリギリの生活

生活保護者の方が支給金額が多い

なんなら、病気を持っていて制限が多い人もいる

 

あのとき、先生から言われた言葉

僕らの年代が60代を超えてきたときに

どうなっているのか不安でしかありません。

 

入院生活でも感じます。

同室者は、毎日家族の方が来院されています。

 

家族のために、少しでも長生きできるように治療をしています。

 

僕も家族はいますが、

世帯を持っているわけではありません。

一人です。

オブラートに言葉を選ばずに言うと

必要な時に他人の力を借りて生活している独身男です。

 

悪性リンパ腫という血液の癌になり、

治療を頑張っているところですが、

何を原動力にしているか、

それは、推しのためです。

推し活をしていた中で発覚したので、

治療前に、推しに宣言してきました。

 

自分自身に目標があるからではなく、

他人の力を借りて、生きようとしています。

 

推し活というものをしていなかったら

僕は何を目標に治療をしていたのかなと思います。

 

SNSをみていると

海外の若い男性が、やりたいことリストを作成し

治療を中断され、やりたいことを完遂し、人生に幕を下ろしました。

 

かっこいいなと思った自分がいます。

 

完治という先が見えない中、過去の自分からどんどん遠ざかるより

潔く、人生の終着点を笑って迎えられる

そんな姿に感銘を受けました。

 

難病になり、他国で、命に終止符を打つ女性の動画も拝見しました。

意識はっきりしていて、終わりのない治療。

他人に力を借りないと生活できない苦しさから脱却するため

自分自身で決めた方。意志が曲がらずに、薬のボタンを押し、幕を下ろしていました。

 

見ていて思うのは、

健康で元気だった自分から病気になり、自分でできることが減っていくと

生きる原動力にはならないなと感じました。

僕は、抗がん剤という治療で、副作用はありますが、

まだ、自分の足で歩くことができますし、手で、料理もできますし、荷物をもったり、

携帯電話を使うこともできます。

風呂も入れます、とトイレもいけます。

なんでもできます。

 

これが、何かが欠けた瞬間

他人に何かをサポートしてもらわなきゃいけなくなったとき

絶望が待っているんじゃないかと思います。

 

できていたことが、できなくなった瞬間、

他人に気を使い続けなければならないようになるからです。

すいません。ありがとうございます。

これを何十回でなく、何万回と発さなくてはいけません。

謝って、お礼して・・・昔ならできていたのにと思いながら・・・

自分が思うようにしたいとしても、他人から先導されてしまえば

操り人形のようなもの。

そんな人たちは、何で、そんなに生きたいの?と思ってしまいます。

 

僕は、ありがたいことに健康体で生まれてきたので、

何かが欠けたら、自立できないのなら、生きたくはありません。

 

まず、普通に、起きる、食べる、手足が動く、聞こえる、見えることができていることに感謝しています。

今の抗がん剤治療も順調です。

推し活も現場には行けていませんが、順調です。

 

まだ、僕は、寛解に向けて頑張ります。

 

長文読んでいただきありがとうございます。