ここ数日、母の友人数名から弔問をしたいという連絡がありました。

全員がなんとなく今挨拶しないといけないという気持ちになったと

おっしゃっていました。


母が呼び出しをしているようです。

そして全員が母の写真の前で泣いてくれました。


母は友人として面白いタイプなので、

好かれてたのだと思います。


母は最後まで友達とまだまだ遊びたいのだと言っていました。

残念だろうなあ。

友達はまだ生きているのに自分だけ死んでしまうなんて

くやしいだろうなあ。


私もお母さんとあと10年くらいは遊びたかったよ。

いろんなところに旅行したかったよ。

おしゃべりしたかったよ。


せめて日本人の平均寿命まで生きててほしかった。

結婚もしないで、孫も見せないで、心配ばかりかけて

ごめんなさいでした。


私は、お母さんの娘として一緒に過ごせてとっても楽しかったです。

元気になるまでもう少し時間がかかりそうですが、

これからは他人のせいにしないで生きるよう努力します。

今日の午後、納骨してきました。


午前中に首と背中が急に寝違えたようになって

びっくりしました。

もしかして母が私に乗っかってきたのかもしれません。

こんな経験は初めてでした。


お墓に住むのではなくて、これからは常に私と一緒なんだよと

ぶつぶつ言っていたら治りました。

父が私の背中をさすりながら、「こら、とりつくんじゃない!」と言ったからかもしれませんが。


悲しくて泣くのではないかと思っていましたが、

泣きませんでした。


納骨するときに、母や母以外の骨つぼを見ていたら、

いつかは私もここの仲間に入るのだ、

それまでのお別れなんだと思えるようになりました。


ただ一つ問題があります。

私が結婚をしないで、かつ誰かが私をこのお墓に入れてくれないと

実現しない話なのです。


結婚をしないというのは今のままでいくと簡単に叶えられますが、

私には兄妹がいないので、お墓を維持できないんですよね。

困った困った。


久しぶりの弔問客が自宅に来ました。

玄関に入ったときから泣いていらして、

母の写真を見てさらに泣いて下さいました。


どうやら私は自分よりも先に泣く人がいると、

泣けないらしい。

その人の優しさに感謝しつつ、

慰めにまわるのに忙しいからかもしれない。


ありがたいと思った。


ということで、泣きたいときに先に泣いてくれる人がいると

落ち着くということがわかった。


アジアの国で「泣き女」という人がいて、葬儀のときに遺族よりも泣いてくれるという話を

きいたことがある。

とても意味のあることだと感じた。


日本でも「泣き女」はいるのかしら。