納骨の日が近づいて来ました。

ちょっとした恐怖です。


遺骨アクセサリーはやめました。

すっきりと送りだそうと思ったからです。


でもでもでも納骨したくない、しなければならない、

したくない、しなければならない・・・と気持ちがあっちこっちに

ふられます。


母はお墓に住むわけじゃない、骨は母の抜け殻で、中身はそばにいるはずだ、

と自分に何度も言い聞かせています。


母が亡くなったとき、

母が骨になったとき、

母がお墓に入るとき、

それぞれの段階で悲しみがあふれるのでしょうね。


この世の人たちは、みんなこんな悲しい体験をしているのでしょうか。

すごいなあ。


さすがに納骨の日まで泣きまくるのは、大人としてまずい気がするので、

違うことを考えて乗り切ろうと思います。

それしか方法がないんですもの。



執着しすぎると故人は成仏できないという話を

ネットで見ました。


会いたいという気持ちと執着との違いは何でしょうか。

会いたいという気持ちが執着だとしたら、

母が成仏できなくなるので、それが心配です。


ただ母はさっぱりした性格なので、私のことを心配しすぎて

この世にとどまるということはないだろうと思っています。


また母が成仏できなかったら、80%以上の人が成仏できなくなると思っているので、

自縛霊にはならないはずです(この世で徳を積んでいるので)。


ということで、素直に「お母さん会いたいよ」と言うことにしました。

気持ちを抑え込むことはやめます。


私はここでは色々言いたいことを言っていますが、

外では何も言いません。


仕事も忙しいので、朝でかけて夜帰宅する毎日です。


その間、仕事をリタイアした父は一人家にいるわけですが、

母がいないことをずっと考えてしまうみたいです。


「どうして先に死んでしまったんだよ」とぶつぶつ言っています。

父の方が母より年上なので、自分が先に死ぬ予定だったようです。


父の気持ちを受け止めて、優しく接することができません。

私だってつらいんだ、私にはどうすることもできない!と思ってしまいます。


自分を含めて家族が立ち直るまでにはまだまだ時間がかかりそうです。


本当にママはなんで先に死んじゃったの?

(私は言ってはだめか!)