実家の最寄(新幹線)駅には、のぞみが数本停まるのですが、朝晩だけ。この時間帯は広島駅でこだまに乗り換えなければなりません。広島駅に着いたのが18時5分、乗り換え待ち20分(涙)
さらに、最寄の新幹線駅から在来線への乗り換えにさらに15分待ち…実家の最寄り(在来線)駅に到着したときには、すでに19時30分を回っていました。
駅には義弟1が迎えに来てくれていましたので、すぐさま帰宅…が、すでにお坊さんは帰ったあとで、数人の親戚が残っているだけでした。
親戚も帰り、親父は、明日の挨拶を考えると部屋に戻り、義弟1は帰宅。妹1は姪っ子2人と離れでお泊り。仏間に残された祖母とわたしでいろいろ喋りました。
- 1/14に祖父が無理やり退院してきた
- どんと焼きをした
- 親父が収穫したまま放置していたなた豆の鞘を温室の中でずっと剥いていた
- 一昨日、前立腺ガンの定期健診を受けに病院へ行き、薬を貰って帰ってきた
- 昨日の朝食は食べたが、昼食はコーヒーとパン(ひとかじり)だけ
- 夕食は、食欲がないので食べずに就寝
- トイレに行こうとしても体中が痛くてひとりで行くことができなかった
- 祖母の補助でトイレに行ったものの、便座から立つ事ができなくなった
- 身動きできない状態になっていたので、救急車を呼んで病院に行った
「なぜ、こうなるまで放置していたのか」
と怒られたそうですが、
「そう言われても、前日(一昨日)病院でなんともないって言われて帰って来たんじゃけぇ」
と答えると、ともに沈黙したそうです。
生前、祖父は
「ともくん(←わたしです)は、いつもお土産を買って帰ってくるのぉ」
「ともくんは、こっち(実家)に住めんのかのぅ?」
と祖母に話していたそうです…一緒に住めんでゴメンね、じいちゃん。
祖父の病名は「重度の感染症」らしいのですが、医者は死因が感染症なのか老衰なのか判断できないと言っていたらしいです。祖父の顔は病気でやつれたふうはなく、今にも目を覚ましそうな感じでした。
祖父が前立腺ガンを患っていることを知ってから、覚悟していたつもりでしたが、やっぱツライ(涙)