こういう夜明けだった12/10(日)↓、

 

 

また夫が登山に行くというので車で送りに行きました。前回は葛城山↓。

『1022 葛城山とコペンと妖精』『秋晴れの飛鳥でおまかせ歩き1  写真いっぱい♡』10月22日(日)すばらしい秋晴れの日、夫の登山送迎にかこつけ、飛鳥でおまかせ歩きしてきました。初めての、念…リンクameblo.jp

 

 

今回夫が登るというのは、京都西山のポンポン山(笑)。「金蔵寺」登山口から登るというので、まだ行ったことのない私は萌え!「行く行くぅ〜」となりました。運転ははりきっての私。

 


こーゆー道で、かなりの傾斜&道幅ギリギリ&ガードレールなしの路肩もある!対向車がきたらどうすんでしょか・・・。

 

私「うぉーーすごい道!ヤバイ!」

 

夫「ここ、前行こうとした時、ママが『なんでこんなとこ入るの!』ってブチギレて引き返したじゃん。」

 

あーーー。・・・・あったね、そゆこと口笛

 

たしかに私は、以前はこういう道には決して入っていきませんでした。しかし、かみドライブ以降「かみさまが困ったことを起こすわけはない」と思うのでガンガンに入っていきます。そういえばおかげで行動範囲ひろがったな〜おねがい感謝。そりゃ対向車がくることはありますが、ちゃんとうまくいくのです。

 

 

ハッ。ここで考察。

つまり、かみあるき以前の私だって、「大丈夫。私のいく道は守られている。」と信頼してさえいれば、どこでも行きたいとこに行けたわけです。もちろんマジNGな道はだめですけど、ちゃんと人が住んでる日本の山道くらい、大丈夫でしょう。アマゾンの奥地じゃないんですから。うんうん。おそるるなかれ!なんですねー人生はおねがい

 

 

やばい山道をあがると、お寺の駐車場の空きはあと1台。えー!っと思ったら、お掃除の方々でした。檀家さんかな?紅葉が落葉したタイミングでされるのか。お仕事おやすみの日にたくさん集まって。皆さんで守られてるんだなあと感動。

 

 

門を撮り忘れました。こんな階段↓を登って本殿へ。夫は登山口へバイバイ。


 

本殿の、縁右翼奥からの写真。

 

 

そして階段を降りて、

 

 

階段左にあった護摩堂に愛宕権現の説明書きが。

明治の廃仏毀釈で愛宕山の権現さんが、こちらへ移されたと。(いや山の神は、山でしょーよー)

 

 

再び階段を登って、本殿左へ。葉山神社あり。なんと木花咲耶姫。

 

 

さらに葉山神社の後ろ左奥上に、桂昌院の御廟。

なぜか、御廟側から外に向けた神カメラ。

 

桂昌院御廟のあたりには相当時間いました。京都の寺社を復興して下さったお玉さん、好き。

 

 

次に、現在の伽藍の中で最も古く美しいと言われる「開山堂」

 

小塩山、淳和天皇陵への登山口。萌。籠神社の厳子さんを大好きだった淳和天皇、好き。


 

この後もう一度降りて上がって、3度目の本堂でかみおどりとなりました。足を鳴らす系でした(誰もいなかったので大丈夫です)。声明のCD?が流れていて素敵でした。

 

 

 降りて鐘撞堂で鐘つかせていただきました。

 

で、この後、ですよ!

わずかながら修繕費のご寄付をすると、しばしご住職とお話させていただきました!

 

・愛宕権現遷座のいきさつ

・御本尊の千手観音像は!文武帝の時に、この山の滝に降り立った向日大明神と、興福寺で修行された僧・隆豊禅師が共に刻んだ。神さまと人間が協力して作った。(しらとりびっくり

・向日大明神はこの山の滝に降り立ったあと、麓の○○神社(忘れた)大歳神社(祭りに行ったことある!)に立ち寄って、最終的に今の向日神社にお座りになった。

・応仁の乱で建物も文書もぜ〜〜んぶ焼けてしまった。西軍だったので。東の寺は生き残った。(西も?)湖東三山だけは残った。

・焼ける前は、白川上皇が建てた金色の御堂があり、麓からもその姿が見えるものであった。

・今の寺のすがたは桂昌院(徳川五代将軍綱吉公の母、お玉さん)の寄進のおかげ。

・お玉さんは八百屋の娘(これは知ってたが)で、西陣で機織り娘をしていたこともあった(知らなかった!びっくり)。

・お玉さんは八百屋の娘っていっても、お父さんは没落してたが藤原鎌足の流れだった(しらとりびっくり)。

・お玉さんは輿入れ後、一度も戻ることはできなかった(ここでえーんとなるしらとりえーん)。

・お玉さんは西陣からどんどん着物を送らせ、一度袖を通したものは二度と着なかったとか(なんか大奥の贅沢バナシとして聞いたことあるが、西陣のためだったんだーーびっくり)。

・元禄の時分であり、経済が良くて、お玉さんは寺の建立費用だけでなく、その後の維持費の分の金子も載せてくれた。かなりの額だった。今はキビシイよー!

・お玉さんの弟が宮津の殿様であったため、実際の寺建立のあれこれをしてくれた。

・⚪︎代前のご住職が、ここ金蔵寺から比叡山に通って修行し、寺は法相宗から天台宗へと変わった。回峰行もかくや。(すぐに千日分になりそうですよね!とかワタシが言うと喜んで頂いたみたいです)

・善峯寺は弟寺として参拝客をあつめ、金蔵寺は兄寺として護りをする。

・今日は年に2回のお掃除の日。昔は家族でやっていたが大変になり今は檀家さんにも協力を頼んでいる。

 

 

なんだか。

感無量〜。

いっぱいお話きかせていただいて感動しました。(私がつい「へ〜!」「ほ〜!」とか、「それは○○ですか?」とか言っちゃうので、たくさんしゃべらせてしまうという・・・。すいません・・・。)

 

 

それと、不動院と同じく境内のいろんな階段を3回ずつ?登り降りさせられましたが、ずっと祈りのようで、またずっと私の身体のためのようで、「修行」じゃないんだな〜と。「愛」なんだな〜。と感じながら歩いており、幸せでした。

 

 

ありがとうございました!




あっコレで終わらんかったんでした。


この後。かみドライブで近くの正法寺に連れていかれました。空海先生のお寺です。萌。不動明王の前でかみおどりあり。


かみ写真お見事です。




あ、金蔵寺で少し寄付させて頂いたらお札やお守りを授かり、後日このようになりました↓。




ありがとうございました!