富山市
荒川裕子エレクトーン&ピアノ教室です🎹



父とのバトルが始まりました。
高校では皆進路が決まり出し
先生も心配していましたが
音楽の道へ行くと伝えて保留に。
父とは、何度も話合いましたが
父「東京の学校行くのはいいとして、その後、お前の事だから東京から富山へは帰ってこないだろう。」
さすが父親、私の事はお見通しです。
たぶん富山へは戻ってこないでしょう。
だって自分を高めようとするならね(^^)
私は一人っ子なので富山からは出したくない
気持ちはわかりましたので、自宅から通えるなら行けばいいとお許しをもらいました。
めでたく合格しまして
エレクトーン講師の道へ!
高卒で入学したのは数人
あとは音大卒業や音楽専門学校卒業の
お姉さん達が大勢!
その頃はまだ音大には電子オルガン科は
ありませんでしたので
専門的に習うために、皆さん入学されました。
クラシックピアノは皆さんバリバリに演奏し
映画音楽もクラシックもハイレベルな
エレクトーン演奏ができて
初心者に近い私がなぜここにいるのか
4月の入学時は必死に練習しました。
仲良しのお友達もできました。
同じ高卒の美人の よしみちゃん
後にミス鯖江☆
現在関東のヤマハで大活躍の講師に
年上の音楽専門学校卒の ゆみちゃん
後にブライダルプレイヤー
現在音楽家派遣会社オーナー
仲良し3人で音楽情報も交換しながら
楽しい学生生活を送っていました。
そう、ゴールデンウイーク中に過労で倒れ
寝込んでしまった私。
朝一番のJRで富山から金沢
夕方金沢を出て自宅へは夜
エレクトーン、ピアノを練習して
課題をこなし疲れきってベットで横になって
「もう通えないかも、、どうしたらいいかしら、
、、、金沢一人暮らしだよね!!これしか生き残る道はないわ!」と
両親に内緒で、金沢の不動産屋でアパート探しを始めました。友人達も私と同じく、北陸3県から集まったいた皆さんは、通いをやめほとんどのなた方がアパートに落ち着く事に。
意を決して両親に頭を下げて
アパート暮らしの許可をもらいました。
卒業までに講師の資格は一般の人と同じく
検定試験に合格しないといけなかったからです。
思い切り練習し、お勉強できる時間ができ
充実した日々を送れるようになりました。
はじめての試験がありました。
楽典に初見視唱
聴音
エレクトーン演奏
などなど
無謀にもエレクトーンの試験の自由曲に
その頃のニューミュージックを演奏したのです。
だあれも、ニューミュージックを試験!に
弾く人はいませんでした。
皆さん映画音楽やクラシックの難曲を
演奏されていました。
当たり前です。点数稼がなきゃね(^^)
私としたら、点数ではなく
私が得意な曲で魂込めて弾ける曲。
指導の先生もその曲でいいよとお墨付きでしたけどね。
我が道を行く大好き
一人っ子あるあるかもしれませんね

つづく