富山市
荒川裕子エレクトーン&ピアノ教室です🎹



さて、その頃は金沢にヤマハのエレクトーン講師になるための学校がありました。
現在は金沢には無くなり、東京、名古屋、大阪などの主要都市に「ヤマハ音楽院」として、プロや講師やデモンストレーターとして学ぶ学校となりました。
その金沢の学校に行くために
私は新しい先生の
指導者養成コースという
エレクトーンを学ぶコースに入りまして
ピアノレッスンも始め
講師になる気満々でレッスンに励みました。
新しい先生は素晴らしい方でした。
しかし音楽性の違いに悩む様になりました。
大田先生とのあの充実したレッスンが忘れられず
大田先生がヤマハをお辞めにならたので
自宅へお伺いして、相談にのってもらいました。
大田先生は。私もレッスンみてあげるが辞めずに続けていきなさい。そして先生に自分の得意なジャンルがある事を伝えなさいと。
勇気を出して、弾きたいジャンルがある事を伝えると、先生はいいですよとあっさり受け入れてくださったのです。
新しい先生のレッスンは重要でしたので課題をこなして行きました。また先生はクラシックや作曲にたけていらしてそちらの勉強も怠らないよう練習に励みました。
平行して、大田先生にはポピュラー音楽を習いに行く事になりました。
私はエレクトーンはポピュラー楽器だと思っていましたので、その頃のエレクトーンではクラシックの音は表現できなかったからもありまして。
現在のエレクトーンは、リアルな音色のサウトンドで、様々なジャンルの音楽を再現した音色で、思うように演奏表現できる素晴らしい楽器に成長しました。
大田先生の愛溢れるレッスンのもと
公式ともにアドバイスを頂き
大晦日も「遊びにおいでー!」と
ご家族と一緒に一年の最後を楽しませて頂いたり。
多くのポピュラー音楽のレパートリーを
レッスン受け、おかげで楽しみながらも上達して行く事ができました。
即興演奏から楽典もご指導頂きました。
そんな中
金沢ではなく、一流のレッスン受けるには
東京へ行かなくては!と密かに思っていたのです。
現在は尚美学園大学、その頃は専門学校でしたが、エレクトーンを学ぶには一流の講師陣がいらっしゃいましたし、他の楽器を学ぶ方も大勢。
東京へ行かせて欲しいとお願いしましたが
父は何を考えていたのか、知り合いの銀行の頭取に頼み、私を銀行に入れてもらえるえる事になったというではありませんか。
「私が銀行員として務まるわけないでしょう!」
銀行員をしながら、エレクトーンを習えばいい。
そう、考えたのでしょうね。
小学生の頃から
「私は音楽に関係する仕事をする。日本全国どこへお引越ししようと出来る仕事。または音楽家、または放送局、または音楽家をサポートする仕事。」
担任がずっと音楽の先生でしたなで、
音楽教諭も夢見た事もありましたが
それは違うと思ったのでした。
大田先生の様な先生になりたい!
「喜びを感じるレッスン。楽しいレッスン。
またレッスンに行きたい」
そう思える先生が理想になりました。
でも、金沢、北陸じゃなくて
東京じゃないとダメなんだ!って思ったのでした。
つづく