富山市
荒川裕子エレクトーン&ピアノ教室です🎹



今日はエレクトーンの生徒さん達が
多いレッスン日でした(^^)
エレクトーンが誕生して
今年60周年記念になるそうです

私がエレクトーンを弾いてみたいなと思ったのは
小学生の頃でした。
音楽といえばピアノを習う事が主流の頃
クラスに1人、2人とエレクトーンを習う
お友達が現れだしました。
ずうっと「エレクトーンを買って欲しい。」と
おねだりしていましたが
カタログを見て
「色々な音が出せるのね 鍵盤は何鍵あるのかな?」と詳細を見て楽しんでいました。
お友達のエレクトーンも弾かせてもらいました。
さて、田舎から富山の中心街にお引越しをしてまいりまして、その頃世の中はエレクトーンブーム!!
楽器店ではエレクトーンも展示され
デモンストレーションの演奏もあり
いいなって思い続けていました。
お引越ししたのもあり、ピアノも合唱も終了してしまい。
早く音楽の世界へ戻りたいと毎日楽しみにしていました。
父はなかなか習いに行かせてくれませんでした。
「高校に合格したら、習わせてあげる!」
と言われましたので
合格するしかないですよね

めでたく合格しまして
さあ、晴れてヤマハ音楽教室へ

最初のクラスの先生が
私のエレクトーンの恩師
大田先生でした。
毎回楽しくて楽しくて

その頃、高校のクラスにも幼い頃からエレクトーンを習っている人もいました。
初心者のテキストを持っている私なぞ
「ふん!」なんて思っていたことでしょう。
でもそんな事はおかまいなく
レッスンが楽しみでなりません。
いよいよ、マイエレクトーンを買ってもらえる事になりました!
レッスンは、毎回グループレッスンは同じ高校生やOLさん
大学生の男性もいた記憶があります。
始めて全員で発表会に出演する事になりました。
アンサンブルでは
先生に「この伴奏、このリズムでできる?」
と楽譜に無い事を言われ
何となく弾くと出来たので
「じゃあそれで弾いてね♪」
こんな風にして、編曲がバージョンアップされていき、初発表会当日はこれ見よがしに、思いりきリズムに乗り演奏したものでした。
エレクトーンの講師になりたい!と
思えたのは、大田先生のおかげ。
毎回、毎回、新しい発見や、音楽の喜びを
味あわせてもらえたおかげです。
初心者の私が講師に?
冗談でしょ的な周囲の雰囲気をも
まったく感知せず
ひたすら私はエレクトーンで音楽の世界に
身をおきたいと信じて一直線に進みました。
先生がご結婚される事になり先生を変わる事になりました。
次の先生は今でも尊敬してしますが、
大田先生とは音楽のセンスは異なり
レッスンが苦痛になりました。
そして初心者の私など講師になるなんて
エベレストにでも登頂する事の様に険しいと。
それはそうです。
否定された様な状況では、困難極まりないので
従姉妹の声楽家にエレクトーンの先生について相談しました。
私も習った事のある先生で
素晴らしい先生よ
そちらへお願いしてみたらと。
その頃活躍されていた先生の元へ
レッスンに通う事になりました。
つづく(^^)