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Lake's Bass Factory

当たり障りのないことを書くつもり。

 モエ・エ・シャンドンが忘れられない。Lakeです。

 ようやく英語を読む作業からほぼ解放されたので、『落窪物語』を読み始めました。基本的には、継母に虐げられている女君がただ一人の味方である侍女のあこきとともになんとか幸せになろうという話(だと思います)ですが、あらすじだけ見るとまるでシンデレラですね。ところがこの作品、始まってそれほどしないうちにベッドシーンが出てきます。男君が無理矢理そういう方向に持っていくわけですが、あこきは男君の従者(たちはき)と同じくベッドに入っていて、女君の部屋の物音に気付くとたちはきを問いただします。まあそうなるだろうという展開ですが、たちはきが観念して自分の策略(男君のために時間を稼ぐ)を暴露すると、あこきは途端に「ならOK」という態度になります。男君が女君と結婚すれば、自分の主人は継母の虐待から解放されるので、まあ女君を思ってのことなのかもしれませんが、予想しない返事に笑ってしまいました。

 この『落窪物語』、実はかなり視点や演出にこだわっていて、それぞれのキャラクターも性格がはっきりした、大変エンターテインメント性の高い本です。まだ全体の13分の2くらいしか読んでませんが。皆さんもよろしければどうぞ。反動でめっちゃ真面目な記事を書いてしまったので今日はこの辺で。

 あ、オレンジケーキだ、美味しそ~!あ、よくわからん海外のチーズだ、美味しそ~!あ、杏仁豆腐だ、美味しそ~!あ、モエ・エ・シャンドンだ、美味しそ~!あ、よくわからん海外のお菓子だ、美味しそ~!袋ご用意いたしますか?あ、お願いします!お会計5520円になります。????????????????????????????????????????????????????????????????????、Lakeです。

 成城石井って、食のテーマパーク感あっていいですよね。強いカルディコーヒーファームみたいな。それだとなんか小作人を虐げてるヤバい農園っぽく聞こえますが。

ともかく、現状ぼくは一番近い成城石井に行くまで徒歩10分+電車20分という距離にもかかわらず、月に一回くらいは寄り道して5000円くらい散財してしまうわけですよ。何に一番金を使うかというと、成城石井が自社工場で作っている惣菜とかスイーツ自社工場で作っている自社工場で作っている試験に出るぞ。

 ともかく、明らかにほかのスーパーにはないものが高いクオリティで作られているわけなんですね。これが。オレンジケーキなんて一本1320円、夜行って割引でも1000円以上します。それでもあの重量。砂糖漬けのオレンジ。買わないでいられるにはあまりにも弱すぎる人類。

 行き慣れるとだんだん金銭感覚がバグってきて、1000円が200円くらいのイメージになります。コンビニスイーツ感覚。惣菜もなんだか出来合いなのに美味しそうで(ぼくは弁当はじめ出来合いのものが苦手)、毎日ここの惣菜回してても健康を維持できそうな感じ。これはヤバい!

 三食を成城石井で賄うのはかなり健康的で満足度も高いですが、その分食費もかかります。一日4000円みたいなペースで食べてたらひと月で食費は12万円。半分に切り詰めればかなり広いアパートを借りられそうです。だから!僕は!成城石井の近くに住みたくない!

魔性の店、成城石井。今日はこの辺で。

 卒論が!終わりそう!なぜなら俺は「視えて」いるから!Lakeです。

 卒論が終わりそうです。卒業チャレンジがまだあと4回残っているので安心できないのですが、これで単位落としてもう一回卒論書くのだけは嫌、それくらい頑張りました。まあどうでもいいですね。

 最近カスみたいなことをよく書いていたので、久々に真面目な話をします。ぼくの卒論を最後に救ったのはなぜか哲学や科学史という、かつてぼくがかじった者たちでした。ぼくの卒論はこの時点でぼくにとって最高の卒論です。なぜなら、それはぼくがこの4年で学んだことをすべて使っているから。ぼくは今までその時々で好き勝手に好き勝手なことを学んできましたが、それを一つに結ぶ道が「視えた」のです。そういう好き勝手さを許容してくれるのが文学研究なのかもしれませんね。ぼくは哲学の論文で今扱っている作品を引用することはないでしょうし、科学史の論文でもそうですが、でも今扱っている作品についての論文では哲学も科学史も引用しようと思えば引用できます。実際引用したのはその交差点みたいな本でしたが。

 真面目な話は茶化したくなっちゃう性格なので今日はここまで。

 あー視える視える、視えるなー。インドで羊か鶏しか食ってなくて、久しぶりに牛肉を食べたものの概念と体験が一致してない俺が視えるなー。Lakeです。

 「視える」瞬間ってありますよね。今までテキトーにやってたことがみるみる一本にまとめられていって、「あ、自分がやっていたことはこういうことだったんだ!」と「視える」。自分の運命を直感する瞬間ってこんな感じなんでしょうね。

 ぼくは今卒論を書いているわけですが、書き散らしまくった5000字くらいの文章が、ちょっと意義を変更するだけで捨てるところなく再利用できたときはお掃除上手の主婦になった感じがします。意外と人生でそういうことはある。

 もちろん世の中に正解はないわけですが、思えば高校まで正解のある問題ばかり解かされてきたのは、この「視える」ことに対する快感を植え付けるためだったのかもしれませんね。あるいは、何かが「視える」まで考え続ける体力をつけるためだったのかもしれません。世の中には正解がないので全部推測です。

 ちょっと卒論が危ないので今日はこの辺で。

 ヤベー卒論。ヤベー。ですが、ブログを更新しています。カスみたいな内容でも毎日更新すれば何かが起きると思い立ったんですよね。ふと。Lakeです。

 正月を海外で過ごしたことはありますか?ぼくは集まるような親戚が存在しないので、いつもは祖父母2組のどちらかの家にお邪魔することが多いです。が、人生で一度だけ、正月を海外で迎えたことがあります。場所はインド。嫌な予感がしてきましたね?

 インドの正月、と言っても、インドの人々がキリスト教中心の正月を祝う理由は特にないわけですが、とりあえず祭りらしいということだけが伝わって、マンハッタンも真っ青の宴が繰り広げられました。

 ぼくが泊まっていたホテルは何棟もあるけっこう大きなリゾートホテルで、街からはちょっと離れていたので、街の様子はわかりませんでした。とはいえそこに行くまでの間、ヤンキー顔負けの紫のネオンに、小錦が首に巻いてるみたいな花を車体に巻き付けまくって、車内でミラーボールビッカビカに光らせてるバスと何台かすれ違ったので、相当浮かれているものと思われます。大概のバスはドア開けっぱなしで、床に座って開いたドアから足出してる人もいました。

 問題はホテル。夜に中庭へ出ると、大量の料理に変な色で光りまくる池、しまいにはギランギランの特別ステージと、ナイトプールが失神しそうな光景。ステージではまったく知らないタレントが信じられないような重低音を流しまくり、PAはすごい量のサーチライトを四方八方に散らしていました。空襲を警戒してるのか?

 とりあえずどこかに座ろうかと家族に相談しても、重低音にかき消されて誰が何を言っているのかまったくわかりません。音というか、もはや衝撃に近かったですね。和太鼓の生演奏を聴くと腹の底がビートを刻む感覚に襲われますが、インドの重低音は体全体をシェイクしてきます。

 早々に退散して部屋でくつろごうとするも、衝撃は建物を貫いて部屋まで到達し、まったく心が休まりません。しかもその宴はオールナイト、ぼくは船に揺られる夢を見ました。オールナイト・インディア。

 こう書くとネガティブに聞こえてしまいますが、現地人は大熱狂していました。ぼくも光る棒か何かをもっていって振り回せばよかったですね。今日は終わりです。卒論はダメです。終。