経済まとめ Jan. 2013
今、経済はどのようなを「常識」として回っているのか。
まず、多くの日本企業とそこで働く人々は「分業」「分業」「拡大」という常識の中で動いているのではないだろうか?まず「分業」で仕事を分ける。エクセルは経理のプロが使い、お店には接客のプロがいて、工場では製造のプロがいる。さらに工場の中でも担当が割り振られている。各自が自分の得意な分野で働くことによって、生産が「効率化」される。例えば一つの家を作るとき、大工さんと水道屋さん、電気屋さんなどの様々なプロフェッショナルが集まって大きな商品を完成させる。一人で全部作るよりも、木工が得意な人が家をたて、配管のプロが水道管をはりめぐらせ、配線のプロが電線を巻き付けた方が断然効率がいいはずだ。効率が良ければコストが下がる。コストがさがれば儲かる。儲かればさらに事業を拡大してさらに儲かる。
今の資本主義の雰囲気はだいたいこんな感じだろう。ではなぜ「分業」して「効率化」して「拡大」しなければならないのか。それは資本主義の定義が
『もっと安く多くのモノが生産されることによって人々は豊かになる』
からであろう。「より安く多く生産する=豊かさ」の公式だ。だからTPPのときに日本は揺れた。「TPPに入らないと安く作れない=豊かではなくなる」からだ。
ではここで、この公式を見直してみよう。私たちの生活にとって大事なことはなにか。陳腐な言葉になるが、私たちが幸せにくらすどうすればいいのか。
実は(より安く多く生産する)ことは私たちの幸せとは直接関係ないことがわかる。(豊かさ)により幸せを感じるのであって、生活も楽になる。そして公式が正しい場合、(豊か)であるために経済大国を維持しなければならないのであって、そのために(安く多く生産)しなければならない。
さて、この公式は正しいか。私たちが求めるのは(豊かさ)ただ一つである。そして「より安く多く生産する=豊かさ」の「=」の部分が正しいか、それが今回の検証内容だ。
★視点1『企業の分業』
安く多く作ることには分業が不可欠だ。大きな会社のトップ層は日々経営戦略を練り、中間管理職がトップの指示を生産現場や実際商品を販売する人に流す。そこには経営のプロ、中間管理のプロ、生産のプロ、販売のプロがいる。全てを一人でやるような小さな商店などと比べると、分業化が進む大きな会社ほど、お互いの仕事内容をあまり理解できなくなるのは当然だ。特にコントロールする側の人間がコントロールする内容を理解していなかったら大問題だ。しかしトップの人間が店に出て実際に商品を売る機会は少ない。私たちが実際商品を買うときに話すのはアルバイトであり、世の中を動かしているのは会社のトップなのだ。なんとなくちぐはぐな感じがする。仕事帰りの居酒屋で部下が上司の愚痴を吐き、上司が部下が使えないと嘆くのは当然だ。家造りでお互いの仕事を知らないとさらに問題は深刻だ。大工が水道管の配置を知らず、水道屋さんは電気の配線を知らず、電気屋さんが大工さんがどこに柱を立てるのか知らなかったらかえって質が悪くて値段が高い家ができてしまう。
もちろん給料にも差がでる。通常大企業では、上の層が下の層をコントロールする。経営理論を練るのはだいたい上層部だが、商品を買うのが生身の人間である限り、商売というのは売れるか売れないかの社会実験に近く、理論外のイレギュラーも発生しやすい下層部にしわ寄せが来やすいのは多くの人が実感したことがあるのではないだろうか?
また、多くの大企業の給料体系はねずみ講に似ている。ねずみ講が違法な原因は1人が10人ずつ会員を紹介すると1億強の人口の日本だと10段のピラミッドにしかならないからだ。ねずみ講は会員を増やして、その会員がまた新たな会員を増やすことでお金が入る仕組みなので、どうしてもトップにいる少数しか儲からない。大企業も同じだ。上司は部下の仕事に責任をもっている。上司の仕事は部下にいい仕事をさせることだ。つまり部下がいい仕事をすれば、上司の評価があがる。上司の上には上司がいて、その上にも上司がいる。下層の評価は上層に吸い上げられる体制がねずみ講との共通点だ。ねずみ講が上層の数%しか実際に儲けれないことと、大企業の上と下の給料格差は同じ仕組みだ。
ここで注意したいのが、大企業そのものが給料格差を生み出しているのではない。ねずみ講的給料体制が給与格差を生み出すのであり、大企業そのものはただ文字通り大きいだけだ。ただ、会社が大きいほどねずみ講的給料体制になりやすいし、そこに陥ったときの給料の上と下の格差は大きくなる。そうなったとき、確かに会社は儲かるが、それは「豊かさ」とイコールで結べるかは疑問が残る。
反対に、中小企業が乱立している世界を想像してみよう。給料格差は小さくなる傾向がある。また会社が多数乱立している世界というのは本来資本主義を語る上で前提としている世界観であり、その中では会社間での競争があり、より質のよいものが作られるはずなのである。
では、なぜ会社は拡大し続けるのか?答えは消費者に聞いてみよう。
★視点2『消費者』
ではここである二つの日本語について考えてみよう。
「ケチ」と「倹約家」だ。両者ともお金をあまり財布から出さない点は共通だ。私はケチは払わない節約家、倹約家は買わない節約家と定義したい。
まずケチのイメージ
・値下げ要求
・やたら中国製
・タダ好き
・持ってるものは安い
・故に持ち物のサイクルが早い
・全体的に厚かましい
少しひどいかもしれない。だが気を取り直して倹約家のイメージ
・朝ご飯がごはんとたくあんとみそ汁
・大事に使う
・長く使えるものを持っている
・故にわりとイイものを買う
・なんかエコ
・全体的につつましい
どちらもお金を使わないことは同じだが、買い物の内容は大分違う。倹約家が増えた方が世のためな気がするが、倹約家が増えても大量生産は必要ない。
つまり、世の中に増えているのはケチなのではないか。ケチさんが増えるには安く商品をつくれる大企業が必要だ。中小企業では質がいいものは作れるかもしれないが大量生産では劣る。
さらに悪いことに、ケチさんはケチさんを生む。例えばここに同じT-シャツを売っているA会社とB会社があるとする。A社は中国で生産したので1,000円で売り、B社は国内生産にこだわったので1,500円で売る。ケチさんはA会社から買うだろう。多くのケチさんが同じ行動をとったとするとA企業は儲かる。業務拡大もできるようになる。ただ、A企業は1500円のT-シャツを1000円にできたのは人件費をカットしたおかげだったので、A企業に勤めている人たちの収入が減る。そうなるとA企業に勤めている人たちがケチ化するか倹約家になるかの選択をせまられる。
私の周りの様子を見る限りだが、多くの人はケチ化している。デフレが止まらないのはその証拠だ。ケチさんが増えればA企業のうな会社が繁栄し、反対にB企業のような会社は事業縮小になるだろう。そうなると働く時間の割に給料が少ない人が増える。多くの社会人が体験している月曜日の憂鬱さはここから生まれているのでないだろうか。
日本人の半分以上が月曜日に憂鬱を感じているのに何も変わらないのはなぜだろう。
あなた自身、私自身が賢くなるしかない。