3月27日(金)
玉ねぎの皮をむくように、私を形作っているもの一つ一つをむいて行ったら何が残るのだろう。
年のせいか、最近こんなことをよく考えます。
物欲はないし、買い物をしてストレスを発散したこともないので、物にこだわることはなさそうです。
美味しいものを食べるのは、美味しくないものを食べるよりも断然好きですが、必要とあらば毎日粗食でも耐えられます。
何回か入院したことがありますが、食事がまずくてストレスがたまったことはなし。
ま、バカ舌なのでね。
一番いらなそうなのは恋愛に関するあれこれ。
髙木くんの笑顔を見るだけで、心がなめらかプリンよりもトロトロになるけれど、これは私の心の贅沢部分だから手放すことができる。
運動神経は最初っから持ち合わせていないし。
優等生的な回答をすると、家族と気の合った友人ですが、これは今回は措いておきます。
最終的に自分に一つ残されるなら、何を残したいのか。
ずっと考えているのですが、聴覚か視覚が残れば何とかなるかなと思うようになりました。
たとえ寝たきりになっても、聴覚か視覚が残っていればなんとかなる。
どちらか一つというのならどうだろう。
読書と音楽鑑賞が私の幼い頃からの好きなものです。
必要なものです。
もし目が見えなくなったとしても、音楽は聴けますし、今ならオーディブルで読書ということも可能。
耳が聞こえなくなったら、もちろん読書に邁進することでしょう。
字幕ありで映画を観てもいいでしょう。
この先いろんな能力が、今できていることが、できなくなってくることもあるでしょう。
少しは絶望するかもしれません。
感受性が鈍いので、絶望しない可能性も結構ありますが。
でもたぶん大丈夫。
結構玉ねぎの皮をむいてみましたが、できないことを数え上げても…と思っているので、その時できる範囲で楽しむことは出来そうです。
例えば家族と別れ、友人たちと離れて一人になっても、それで心が壊れることはない筈。
寝たきりになった時のために、体重は落とさねばならんなあとは思っていますが、これがなかなか。
でも、寝たきりにならないように、日々えっほえっほと歩いてはいます。
玉ねぎの皮をむいたら、残っているものがなるべく大きいといいな。
芯にあるものはわかったから(視覚か聴覚)、それを大切に、これからも毎日ゆるゆるとのほほんと暮らしていけるよう、身命を賭す覚悟で精進してまいります。