5月31日(日)
最近友だちと会う機会が増えて、昔のことを思いだすことが増えたと以前の記事に書きましたが、この間友だちと会った時に公務員の定年について記憶が間違っていた事に気付きました。
「私が就職したころは公務員にも定年がありましたが、昔はなかったんだよ」いう話をしました。
「わたしが採用される20年くらい前くらいまでは」みたいなことを言いましたが、公務員に定年ができたのは昭和60年3月31日からのようです。
60歳定年制が採用されてから約40年しか持たなかったんですね。
なので年配の先輩たちは、60歳で胸をはって退職できることをとても喜んでいたわけです。
定年に反対していた人たちは、民間に転職したりして、すでにあまりいなかったのでしょうね。
私はその「60歳で胸をはって退職」が強く印象に残っていて、「60歳で退職」にこだわった部分があると思えてきたのです。
ちなみに、私が勤めていたのは国の行政機関ではありましたが、技術職が幅を利かせていたところ。
技術職といっても、今でいう3K職場。
女性の技官はあまりいませんでした。
戦後、国の機関として緊急に行わなければならない事業はあったものの、男性の数が圧倒的に少なかったため、非常勤職員として大量に女性が採用されました。
戦後が遠くなった頃には男性職員の採用も増え、女性は結婚等で辞めなかった人たちが正規雇用され、その後の女性技官の採用はありませんでした。
平成2年に採用された後輩が、数十年ぶりの女性技官。(Ⅰ種試験にも合格していたのにⅡ種採用)
一番年の近い女性技官の先輩が49歳。
平成ったってこんなもんです。
今でこそ、技官の女性が男性より多く採用される年もあるみたいですが。
私は地方採用なので、せいぜい出産までの腰掛のつもりで採用されました。
なので、出産後も働くというのを聞きつけて「俺が辞めさせてやる」と乗り込んできた上司もいました。
平成元年に生れた長男は、早生まれだったので消費税はかかりませんでしたが、4月以降の出産には消費税がかかりました。
そこで女性たちの猛反発が巻き起こったのです。
「出産は消費なのか!」
平成2年度の出産からは、消費税がかからないことになり、声をあげれば世の中が変わることもあるのだなあと思いました。
平成5年3月末に次男出産し、6月から全国組織の私の職場で、初めての育休取得者になりました。
もちろん無給ですが、所得税と共済掛金全額は支払わなければならず、持ち出しの多い一年でしたが、今はもう少し家計の負担が減っているようなので、これもまた徐々に良くなってきた部分と思います。
先日『化学の授業をはじめます。』を読んで、1960年代アメリカの女性差別の実態は、1980年代からの私の公務員時代にも重なる部分が多く、なんだかいろいろ思いだしてしまいました。
勤務時間前に出勤して、ポット2本分のお湯を沸かし、その他30人分のお茶をいれなければならなかったこと。
お茶の準備をしながら、他の職員の机の上を片付け、雑巾がけをしたこと。
女性は冬の除雪当番を除外してもらえたこと。
私は事務官採用ですが、途中から技術の仕事もするようになり、それこそ男性技官のお手伝い的扱いもされました。
技術がないのでしょうがない部分もありましたが、私のした仕事を当たり前のように男性職員(仕事しない奴)が自分の名前で提出することに腹が立ち、「わたしの名前で仕事をさせろ」と上司に食って掛かったことがありますが、本気で「何言ってるの?」と首をかしげていた上司の姿は忘れません。
でも、食って掛かったから、その後は自分の名前で仕事ができるようになったのです。(とっくに40歳過ぎてましたけど)
政治家たちが選挙のたびに散々いいことを言っていても、世の中が良くなっていく流れはすごくゆっくりです。
でも、『化学の授業をはじめます。』のエリザベスの頃より確実に良くなってきている部分は確かにあって、それは大勢の名もなきエリザベスたちが声を出し、行動してくれた結果なんだよなあ。
なんてことを、読後どころか読んでいる最中からいろいろつらつら考えました。
忘れないうちに書いておこう。
そして、友だちとまた会った時、忘れてなかったら定年に関する勘違いを訂正しておこう。