5月11日(月)
並び方は雑だけど、歌のとおり。
本日の読書:サロメ ワイルド
話としては知っていたけれど、読んだのは初めて。
恋する人に振り向いてもらえなかったユダヤの王女サロメが、王の前で舞を舞った褒美に、その恋しくて憎い預言者ヨカナーンの首を所望する、という話。
ところが、聞くと読むとは大違い。
まず、会話劇のはずなのに、一つとして会話が成立していない。
誰もが自分の言いたいことをまくしたてているばかり。
人の話を聞け!
一番ヤバいのがヨカナーンだと思う。
私はもっと落ち着いて、理路整然とキリストを語る人なのかと思っていたけれど、うわごとのようにひたすらキリストについて語り、王妃の不実をなじるのみ。
サロメは一目ぼれというか、声に惚れたっぽいけど、いいの?こんな人で。
首を所望するくらいだから、サロメはもちろんヤバい人なのだけど、彼女の母親もヤバい。
今の王様は、もともと王弟だったのだが、兄を殺してその妻と国を強奪する。
なんかハムレットみたいだけど、この夫婦はその結婚がさほど幸福には見えない。
王妃は常に王の興味が娘にあることに嫉妬し(義理の親子で、実の叔父と姪なのに!)、それを糾弾するヨカナーンが目障りで仕方ない。
これらの中では王が一番まともなような気はする。
いちおう神を敬い、兄を殺す以外は人の道を外さないようにしてはいる。
が、サロメに対する劣情はやっぱりあやしい。
というわけで、主要登場人物全員が取っ散らかっているのであるが、ストーリーは単純明快で、読みやすい。
これがワイルドの腕ってわけなのかしら。
でもなぜかしら精神が疲弊します。
カバー折返しより
『月の光のもと、王女サロメが妖しくうつくしく舞う――七つのヴェイルの踊りの褒章に彼女が王に所望したものは、預言者ヨカナーンの首。ユダヤの王女サロメの恋の悲劇を、幻想的で豊麗な文章で描いた、世紀末文学の代表作。ビアズレーの挿絵一八点を収録。』話としては知っていたけれど、読んだのは初めて。
恋する人に振り向いてもらえなかったユダヤの王女サロメが、王の前で舞を舞った褒美に、その恋しくて憎い預言者ヨカナーンの首を所望する、という話。
ところが、聞くと読むとは大違い。
まず、会話劇のはずなのに、一つとして会話が成立していない。
誰もが自分の言いたいことをまくしたてているばかり。
人の話を聞け!
一番ヤバいのがヨカナーンだと思う。
私はもっと落ち着いて、理路整然とキリストを語る人なのかと思っていたけれど、うわごとのようにひたすらキリストについて語り、王妃の不実をなじるのみ。
サロメは一目ぼれというか、声に惚れたっぽいけど、いいの?こんな人で。
首を所望するくらいだから、サロメはもちろんヤバい人なのだけど、彼女の母親もヤバい。
今の王様は、もともと王弟だったのだが、兄を殺してその妻と国を強奪する。
なんかハムレットみたいだけど、この夫婦はその結婚がさほど幸福には見えない。
王妃は常に王の興味が娘にあることに嫉妬し(義理の親子で、実の叔父と姪なのに!)、それを糾弾するヨカナーンが目障りで仕方ない。
これらの中では王が一番まともなような気はする。
いちおう神を敬い、兄を殺す以外は人の道を外さないようにしてはいる。
が、サロメに対する劣情はやっぱりあやしい。
というわけで、主要登場人物全員が取っ散らかっているのであるが、ストーリーは単純明快で、読みやすい。
これがワイルドの腕ってわけなのかしら。
でもなぜかしら精神が疲弊します。

