5月7日(木)
最近、「なんでこんなことを!」と絶句してしまうような衝撃的な事件が、特に家族間での殺人事件が多いような気がします。
確かに「なんでこんなことを?」と不思議だし、理解できないことは恐ろしいので、知りたいと思うのは自然の流れです。
が、最近のテレビ報道のあり様がは些か不穏ではないでしょうか。
「知る権利」を免罪符に、容疑者どころか関係者の私生活にまで勝手に踏み込み、根拠のない憶測をたれ流す。
基本的人権の中には、公序良俗に反しない限りプライバシーを守る、「知らせたくない権利」もあると思うのですが。
事件の真相を報道することは、もちろんいいと思うのです。
でもそれは、個人を特定して、プライバシーを暴くようなこととは全然違います。
私は原則匿名報道でいいと思っています。
個人が起こした事件とは言っても、いつどこで同じような事件が起きるのかわからない限り、個人に焦点を当てるのではなく、本質を一般化して事件を考える方が有効なのではないでしょうか。
事件も事故も、日本中どこに住んでいても、どのような生活をしていても、巻き込まれない保証はないのです。
他人事として興味本位に騒ぎ立て、評論家のように語るのが何の役に立つのでしょう。
というか、一億総評論家時代なんて言われていたこともありますが、私達は基本的に評論家たり得る知見は持っていません。
なぜなら、その他大勢のモブだからです。
だからこそ、簡単に煽られて、大勢に雪崩を打つような行為を私達にさせないで、とマスコミには言いたいのです。
不安をあおって、新たな火種を作らないで欲しいのです。
鬱病になって以降、どうも私は集団ヒステリーみたいのがとても苦手になったようです。
「知る権利」だけではなく、「知りたくない権利」にも配慮していただきたいのです。
知りたくないならニュースを見なければいいと言われるかもしれませんが、ちゃんとしたニュースなら知りたいのです。
せめてテレビのニュースや新聞は、節度を持って報道してほしいと思います。
本日の読書:街道をゆく 1 湖西のみち、甲州街道、長州路ほか 司馬遼太郎
カバー裏より
『「湖西のみち」から、二十五年の『街道』の旅は始まった。琵琶湖西岸の渡来人の足跡を確かめ、信長が逃げ込んだ朽木谷を訪ねる。幼いころの著者が遊んだ奈良の「竹内街道」、「私は日本の景色の中で馬関(下関)の急潮をもっとも好む」と書く「長州路」には幕末を彩った吉田松陰、坂本龍馬らも登場する。』
目次
・湖西のみち
・竹内(たけのうち)街道
・甲州街道
・葛城みち
・長州路
「知識があるということは、自分を高いところに立たせることである」=見晴らしがよくなるという意味。
という言葉がぴったりの紀行文。
同じ景色を見ても、解像度が違うんだよなあ。
目を引いたのは、滋賀県にある「穴太(あのう)」という地名。
石垣づくりの「穴太衆」などで近年有名になったけれど、これが卑弥呼の時代から土木工事に活躍していた穴穂と同じ語源なのではないかという説。
要するにこれは、大陸からの技術を持った人たちを先祖としているということなのだ。
穴穂と言えば、推古天皇の弟の穴穂部皇子(あなほべのみこ)や、聖徳太子の母の穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)と、やけに聖徳太子の周囲に多い名前なのが気になるなあ。
ちょいちょい古代史の話が出てくるので、そのたびに高田崇史のQEDシリーズを復習しているような気になる。
一言主の神とか、製鉄の話とか。
あと、長州藩が好きではないので、「長州路」での長州人たちの話はあまり刺さらなかった。
著者も言っているとおり、一流の人ってむやみやたらに熱くならない。→人殺しに手を染めない。
木戸孝允や高杉晋作は、剣の使い手ではあったけれど、命を狙われている時逃げ回るだけで殺しはしなかったらしい。
でも、吉田松陰は志を遂げるためなら、反対する者たちを殺してよいと言っていたし、伊藤博文や井上薫は殺してるよね。
高杉晋作も奇兵隊など煽るだけ煽って使い捨てて見捨ててるし。
そういうあれこれが好きじゃないの。