2月22日(日)
そろそろ来年度の手帳を更新する時期が来ました。
新年度始まりの手帳を長年使っているのですが、今年からもうやめようかなあと考えています。
理由は、予定がほとんどないから。
図書館と美容院くらいしか予定がないんだよ。
ただし、半年に一度の病院は、忘れちゃいけないので、逆に気を使いますが。
でも、スマホの予定表に入れればいいわけですし、スケジュール帳としては、本当にもういらない。
ただ、メモ帳は何かとあった方がいいよね。
初めていく場所なんかは、必ず行程を一度紙に書かないと不安だし、読みたい本をメモしたり、新しく覚えたことばを書き留めたりと、手帳ほどしっかりした作りじゃなくてもいいから、ノートは持ち歩きたい。
それと、お薬手帳及び胃薬や整腸剤などを手帳に挟んで持ち歩いているので、それもなんとかしなくてはならない。
というわけで、見開きで一カ月の予定が書ける薄いスケジュール帳及びメモ帳、病院の予約表及びお薬手帳や常備薬なんぞをポーチに突っ込んで持ち歩こうかと思っているのですが、なかなか腰が重くてねえ。
今日、長男が姫路に戻っていったので、明日の昼はまるっと自由時間。
お散歩も兼ねてサツエキまでスケジュール帳やポーチを見繕ってこようかな。
ついでにお昼ご飯も食べてこようかな。
昨日の10さんの宣言通り、今日のお昼はラーメン。
久しぶりに食べるラーメンでした。うまうま。
本日の読書:書楼弔堂 霜夜 京極夏彦
目次
・活字(夏目漱石)
・複製(岡倉天心)
・蒐集(田中稲城)
・永世(牧野富太郎)
・黎明(金田一京助)
・誕生(甲野賢三の息子甲野昇)
今回は一冊の本を作るための活字から、商品としての本を販売するための流通にまで話が広がり、そして「本のそむりえ」たる弔堂が店を閉めるまで、の話。
活字ができたことにより、本は一気に大量生産が可能なものになった。
複製と模倣の違いを踏まえたうえで、複製(印刷技術のない頃は筆写)が昔の文献を今に伝えてきたのだった。
そして紙。
手漉きの和紙から大量生産が可能な洋紙への移行。
しかし紙とても永遠に残るものではないので、やはりここでも複写して残しておくことが大事という。(余談だが、和紙の修復については国立公文書館のロビーでビデオ上映している)
明治という時代を舞台にしながら、これは確かに現代の読者に向けての本であった。
価格が高い本がいい本というわけではなく、短時間で読むことがよい読書というわけでもない。
読書というのは、コスパやタイパの範疇外のものなのだ。
同じ本を読んでも受け取るものはそれぞれの人によって違い、同じ人が読んでもその時々で感想は変わってくるだろう。
世の中は常に変動していて、本の中身は変わらない。
だから人は本を読んで、己の現在地を確認するのだろう。
”技術は必要だから改良されるもの。必要は改良に先んじてあるべきもの。そこをはき違えるなら、その文化は滅ぶでしょう。”
本屋の大敵は戦争である、と。
武器の進歩を人間が追いかけるようになっては本末転倒だ、と。
”真実より村の判断が重視されるものなのだな。真実を知る者も口を拭うのだ。拭うだけでなく口裏を合わせ始める。知っているのに知らぬふりをする。”
SNSがない時代から、この国はそうだった。
Amazonより
『古今東西の書物が集う墓場。明治の終わり、消えゆくものたちの声が織りなす不滅の物語。花も盛りの明治40年――高遠彬の紹介で、ひとりの男が書舗「弔堂」を訪れていた。甲野昇。この名前に憶えがあるものはあるまい。故郷で居場所をなくし、なくしたまま逃げるように東京に出て、印刷造本改良会という会社で漫然と字を書いている。そんな青年である。出版をめぐる事情は、この数十年で劇的に変わった。鉄道の発展により車内で読書が可能になり、黙読の習慣が生まれた。黙読の定着は読書の愉悦を深くし、読書人口を増やすことに貢献することとなる。本は商材となり、さらに読みやすくどんな文章にもなれる文字を必要とした。どのようにも活きられる文字――活字の誕生である。そんな活字の種字を作らんと生きる、取り立てて個性もない名もなき男の物語。夏目漱石、徳富蘇峰、金田一京助、牧野富太郎、そして過去シリーズの主人公も行きかうファン歓喜の最終巻。残念ですがご所望のご本をお売りすることは出来ません――。』目次
・活字(夏目漱石)
・複製(岡倉天心)
・蒐集(田中稲城)
・永世(牧野富太郎)
・黎明(金田一京助)
・誕生(甲野賢三の息子甲野昇)
今回は一冊の本を作るための活字から、商品としての本を販売するための流通にまで話が広がり、そして「本のそむりえ」たる弔堂が店を閉めるまで、の話。
活字ができたことにより、本は一気に大量生産が可能なものになった。
複製と模倣の違いを踏まえたうえで、複製(印刷技術のない頃は筆写)が昔の文献を今に伝えてきたのだった。
そして紙。
手漉きの和紙から大量生産が可能な洋紙への移行。
しかし紙とても永遠に残るものではないので、やはりここでも複写して残しておくことが大事という。(余談だが、和紙の修復については国立公文書館のロビーでビデオ上映している)
明治という時代を舞台にしながら、これは確かに現代の読者に向けての本であった。
価格が高い本がいい本というわけではなく、短時間で読むことがよい読書というわけでもない。
読書というのは、コスパやタイパの範疇外のものなのだ。
同じ本を読んでも受け取るものはそれぞれの人によって違い、同じ人が読んでもその時々で感想は変わってくるだろう。
世の中は常に変動していて、本の中身は変わらない。
だから人は本を読んで、己の現在地を確認するのだろう。
”技術は必要だから改良されるもの。必要は改良に先んじてあるべきもの。そこをはき違えるなら、その文化は滅ぶでしょう。”
本屋の大敵は戦争である、と。
武器の進歩を人間が追いかけるようになっては本末転倒だ、と。
”真実より村の判断が重視されるものなのだな。真実を知る者も口を拭うのだ。拭うだけでなく口裏を合わせ始める。知っているのに知らぬふりをする。”
SNSがない時代から、この国はそうだった。

