2月7日(土)

 

注文していた毛糸が届きました。

連絡をいただき、受け取りに行きました。

 

「セーターですか?」と聞かれて、「はい」と答えたら、「大作ですね」と言われました。

私の感覚では、編み物といえばセーターかマフラーが定番だったので、対策という言葉にちょっと違和感を覚えてしまったのですが、確かに最近は編み物といえば小物が多く、毛糸も昔のように10玉、20玉をまとめて売るなんてこともないようです。

そうか…セーターは大作か…。

 

私が編み物をしていたころは、極太の毛糸でザクザク編んでいたものですが、今回は並太の毛糸です。

だって普通の極太毛糸もあんまり見かけないし。

編んでも編んでも編んでも編んでも終わりが見えない並太のセーター。

うん、大作かもしれない。

 

帰り際、「頑張って完成させてくださ~い!」とエールをいただきました。

うーん、ちょっと自信がない…。

 

 

 

 

本日の読書:同志少女よ、敵を撃て 逢坂冬馬

 

Amazonより
『激化する独ソ戦のさなか、赤軍の女性狙撃兵セラフィマが目にした真の敵とは──デビュー作で本屋大賞受賞のベストセラーを文庫化』

エピローグの手前まで読んで「戦争は女の顔をしていない」と思った。
帯に書いてあった三浦しをんの文章が、正しく的を射ている。

”戦争は女の顔はもちろんのこと、男を含めたあらゆる性別の顔もしておらず、つまり人間の顔をしていないのだという事実を物語ろうとする、その志の高さに感服した”

目の前でドイツ軍に村を侵略され、母をはじめとした村人たちを殺され、たった一人生き残ったセラフィマ。
彼女は母の、村人たちの敵を討つためにソ連赤軍の狙撃兵となる。

前線に女性兵士を送り出したのは、世界広しといえこの赤軍だけらしい。
ドイツでは、女性は銃後を守るもの、男女平等を謳ったアメリカでは、女性兵士はの役割はチアリーダーだったと。
つまり外側から、性的魅力をもってして男性を鼓舞する存在と。

伝説の女性狙撃手が同盟国アメリカのことを評していた言葉は、、現在の日本にも突き刺さると思う。
”人種差別がひどいし、労働者は抑圧されている。それでいて選挙があるので自分たちは自由だと思い込んでいるから進展もない。ある意味で貴族制度以上の欺瞞と搾取だ”

それでも、戦後に英雄として検証されたのは男性兵士ばかりだし、女性たちは支援部隊に移された。
同志少女の敵は、ドイツではない。

”戦争を生き抜いた兵士たちは、自らの精神が強靭になったのではなく、戦場という歪んだ空間に最適化されたのだということに、より平和であるはずの日常へ回帰できない事実に直面することで気づいた。”

もちろんそれは、男女を問わない。
肉体も精神もボロボロになりながら、彼らは何を得て何を喪ったのか。
セラフィマが最後に撃ったのは。

正直言って、細かすぎる描写に多少うんざりした。
狙撃手としての訓練のディテール、戦場となった市街の様子、戦術、作戦。
詳しく書かれたところで、あまりピンとこないのは私の勉強不足故ではあるけれど、それにしても…。
だからと言って、簡潔明瞭に書いてしまってはリアリティが失せてしまうし、難しいバランスではあると思う。

そしてタイトルと表紙。
「わぁ~、読んでみた~い」とは決してならないだろう。
多くの賞を受賞して注目をされていたから、私も手に取った。
本屋で見かけただけなら、決して手に取ることはなかったと思う。
損してると思う。