2月6日(金)

 

今日の野球観戦

日ハムのキャンプの様子を、毎日テレビで見ています。

娘が。

 

Jリーグも始まるし、オリンピックだって始まるので、娘と長男と10さんで、うまいことチャンネル調整していただければと思います。

私にはチャンネル権ないのでね。

 

このご時世、チャンネル権なんて死語だと思うのですが、DAZNもCSもリビングのテレビじゃないと見られないのです。

一周回って不便だわ。

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私と10さんの間では、ご飯を作らなかった方が後片付けをするという暗黙のルールがあります。

しかしここのところ10さんが忙しくて、連日私がご飯を作っていますが、なんとなく後片付けも私。

洗濯は私がして、掃除機をかけるのは10さんという流れも、今はどちらも私。

 

まあ、10さんは疲れているんだし、私は家にずっといるわけだし、無職無収入だし…という気分になってしまいます。

ああ、専業主婦ってこんな感じか…と。

 

何が不満かって、いつの間にかそれが当たり前になっていくこと。

こっちだって疲れているんだよ!となかなか言いにくいこと。

大雪がおさまったら、そろそろ10さん解放されないかなあ。

温泉にでも行って、お互いの疲れを癒したい頃合いです。

 

 

 

 

本日の読書:病葉草紙 京極夏彦

 

Amazonより
『人の心は分かりませんが、 それは虫ですね――。ときは江戸の中頃、薬種問屋の隠居の子として生まれた藤介は、父が建てた長屋を差配しながら茫洋と暮らしていた。八丁堀にほど近い長屋は治安も悪くなく、店子たちの身持ちも悪くない。ただ、店子の一人、久瀬棠庵は働くどころか家から出ない。年がら年中、夏でも冬でも、ずっと引き籠もっている。「居るかい」藤介がたびたび棠庵のもとを訪れるのは、生きてるかどうか確かめるため。そして、長屋のまわりで起こった奇怪な出来事について話すためだった。祖父の死骸のそばで「私が殺した」と繰り返す孫娘(「馬癇」)、急に妻に近づかなくなり、日に日に衰えていく左官職人(「気癪」)、高級料亭で酒宴を催したあと死んだ四人の男(「脾臓虫」)、子を産めなくなる鍼を打たねば死ぬと言われた武家の娘(「鬼胎」)……「虫のせいですね」棠庵の「診断」で事態は動き出す。「前巷説百物語」に登場する本草学者・久瀬棠庵の若き日を切り取る連作奇譚集。』

目次
・馬癇(うまかん)
・気積(きしゃく)
・脾臓虫(ひぞうむし)
・蟯虫(ぎょうちゅう)
・鬼胎(きたい)
・脹満(ちょうまん)
・肺積(はいしゃく)
・頓死肝虫(とんしかんちゅう)

長屋に住む、何を生業にしているのかよくわからない青年(本草学者)久瀬棠庵が、病を虫になぞらえて事件を解決する、連作短編集。
この棠庵という男、頭はいいのだが人の心の機微がわからず、言葉も文字通りの意味でとらえてしまうので、何かと意思の疎通が難しい。
悪気なく失礼なことを面と向かって言って憚らないのである。悪気がないから。

毎日様子を見に来る大家の息子(実質大家のようなもの)である藤介が、時折置いてけぼりになりながらも、徐々に彼とのつきあい方を覚えて、結果的にはいい助手のような役割を果たしている。

この二人のやり取りがとぼけていて、読んでいて面白いのなんのって、てっきりシリーズ化するのかと思ったが、最後の事件では嘘を吐くことのできない棠庵に変わって、藤介が大家としての目配りと、今までの事件での棠庵の示唆から事件を解決してしまったので、この一冊で終わりかもしれない。
でも、棠庵の許嫁(世間の勘違い)であるお登勢が、事件解決後も長屋に居座っているから、まだ何らかの続きを書くこともありだな、とも思ったり。

タイトルの病葉というのは、棠庵が自身のことをそう思っていることから。
心というか気持ちというかが欠けている。
虫に食われた葉のように。
今だったら発達障害とくくられるのかもしれないけれど、この当時そんな言葉も概念もなかったのだろうから、これは結構辛い自省である。

それに対して藤介は言う。
「あたしも病葉だよ。あんたより欠けは多いけどもね――」
ひとりひとりどこか違ったところが欠けた存在であると認め合えれば、世の中はもっと寛容になるのかもしれない。