1月28日(水)
週に何回洗濯する?
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毎日洗濯しています。
今までは朝洗濯していたのですが、10日くらい前から夜に洗濯しています。
台所の脇にサンルームという名目の1畳ほどのスペースがあって、そこに干しているのですが、朝洗濯物を干して夕方取り込むようにすると、昼の間台所が暗いのです。
以前は2日に1度の洗濯だったので、1日おきに暗くなるのですが、それはガマンしていました。
が、娘と暮らすようになり、毎日洗濯するようになると、毎日暗いのは…つらい。
朝ご飯の準備しながら洗濯機を回し、片付け終わってから干すようにしてはいても、昼食時はいつも暗いので。
夕方は早くから外が暗くなってしまうので、暗くてもしょうがないと思っていましたが、最近は夕方が少し明るい。
で、我が家はみんな夕方にお風呂に入るので、夜7時くらいに洗濯機を回して8時くらいに干すというパターンに変えてみました。
ちゃんと朝、乾いているので助かります。
明るい台所で作業をするのは、暗い台所でするよりも気分的に大変良い。
ただねえ…忘れるんですわ、洗濯するの。
晩ご飯後に干そうと思って、洗濯を忘れているのに気づく…。
新しい習慣が身につきにくいお年頃ですが、ぼちぼちゆるゆる頑張ります。
本日の読書:明日、晴れますように 続七夜物語 川上弘美
前作『七夜物語』の主人公鳴海さよと仄田鷹彦の二人は、冒険のあとそれぞれの人生を送り、大人になった。
そしてさよの息子の絵(かい)と仄田君の娘(りら)は小学4年生、同じ学校のクラスメートである。
りらは、クラスの女子三人組にいじめられている。
父親の仄田くんもそうだったように、頭はいいのに空気を読まない、少し変わったところがあるからだ。
絵はりらがいじめられている事に気付いても、しばらくは何もしなかった。
どうしたらいいのかわからなかったし、そのことについて考えるのも気が重かったからだ。
ふたりが冒険に出るきっかけはそういうことだったのだけど、そこに至るまでの絵の日々、りらの思いなどが丁寧に、薄紙を重ねていくように少しずつ描写されるので、本人たちにも気付けないふたりの戸惑いやもどかしさが、かつて子どもだった大人にもじんわりと伝わってくる。
りらは、お父さんはりらのことをわかろうとする人だと思っている。お母さんはわかるより、安心したい人なのだと思っている。
だから、りらはいじめられていることをお母さんではなく、お父さんに話した。
そして、お父さんは「二人で冒険に行こう」と言った。
思った通り、二人はそこでグリクレルに会い、お父さんは子どもの姿になっていた。
なぜだか絵も子どもの姿に戻ったお母さんと合流することになって、りらと絵は「大切なもの」を探しに出かけることになる。
その中で、二人が気づいたこと。
”えらい気持ちになると、いろんなことが、見えなくなっちゃう”
”たしかに、自分がえらい、っていう少しいばった気持ちになると、こまかいことをかんさつするより、自分がすごい、っていうことをうれしがることがいそがしくて、それだけでいっぱいいっぱいになる”
つまり、自分の自尊心を守るために、他人を貶めたりいじめたりするのではないか、と。
それに対抗するための「大切なもの」とは。
冒険が終わった時、絵は、自分のまわりにいる人たちのことを大切だ、と気づくのだが、しかしそれはずいぶん安易な結末だな、とも思っている。
安易ではダメなのか?とグリクレルに聞いてみたら、いいとかダメとか決めるのも安易じゃないのか?と返ってきた。
深いね。
でもって、その後、絵は「大切なものはね、いっぱいあって、一つだけじゃないっていうことを、見つけた」
そうだね。
自分の中に「大切なもの」がたくさんあるとわかっていれば、相手にも「大切なもの」があると思えれば、人間関係が時にこじれても、自分を大切に思っていられるね。
そして、生きていれば「大切なもの」って変わっていくこともある。
ぬいぐるみが一緒じゃなくても眠れるようになったり、親友が替わったり、離婚したり。
自分の核になる「大切なもの」、自分を成長させる「大切なもの」。
最終章は、りらと絵のその後。
明日は、よく晴れたいい日でありますように。
Amazonより
『いまほど世の中の仕組みが複雑ではなかった1970年代。『七夜物語』という不思議な本の世界を冒険した子どもたちがいた。鳴海さよと仄田鷹彦。七つの夜をめぐる冒険は、二人にとって大切な経験となるが、さよも仄田くんも「夜の世界」の出来事を決して思い出すことはなかった。あれからおよそ30年――。さよの息子「絵」と仄田くんの娘「りら」は、両親と同じ小学校でクラスメートになっていた。二人もまた『七夜物語』の世界へと導かれるのか? 2010年の現代を舞台に、10歳から11歳へと成長する二人の変化の兆しと、子どもたちを取りまく世界を鮮やかに捉えながら、ささやかな人の営みと、そのきらめきを届ける物語は、2011年の「あの日」へと向かっていく。著者の長編ファンタジー『七夜物語』から12年、次世代を生きる子どもたちの物語』前作『七夜物語』の主人公鳴海さよと仄田鷹彦の二人は、冒険のあとそれぞれの人生を送り、大人になった。
そしてさよの息子の絵(かい)と仄田君の娘(りら)は小学4年生、同じ学校のクラスメートである。
りらは、クラスの女子三人組にいじめられている。
父親の仄田くんもそうだったように、頭はいいのに空気を読まない、少し変わったところがあるからだ。
絵はりらがいじめられている事に気付いても、しばらくは何もしなかった。
どうしたらいいのかわからなかったし、そのことについて考えるのも気が重かったからだ。
ふたりが冒険に出るきっかけはそういうことだったのだけど、そこに至るまでの絵の日々、りらの思いなどが丁寧に、薄紙を重ねていくように少しずつ描写されるので、本人たちにも気付けないふたりの戸惑いやもどかしさが、かつて子どもだった大人にもじんわりと伝わってくる。
りらは、お父さんはりらのことをわかろうとする人だと思っている。お母さんはわかるより、安心したい人なのだと思っている。
だから、りらはいじめられていることをお母さんではなく、お父さんに話した。
そして、お父さんは「二人で冒険に行こう」と言った。
思った通り、二人はそこでグリクレルに会い、お父さんは子どもの姿になっていた。
なぜだか絵も子どもの姿に戻ったお母さんと合流することになって、りらと絵は「大切なもの」を探しに出かけることになる。
その中で、二人が気づいたこと。
”えらい気持ちになると、いろんなことが、見えなくなっちゃう”
”たしかに、自分がえらい、っていう少しいばった気持ちになると、こまかいことをかんさつするより、自分がすごい、っていうことをうれしがることがいそがしくて、それだけでいっぱいいっぱいになる”
つまり、自分の自尊心を守るために、他人を貶めたりいじめたりするのではないか、と。
それに対抗するための「大切なもの」とは。
冒険が終わった時、絵は、自分のまわりにいる人たちのことを大切だ、と気づくのだが、しかしそれはずいぶん安易な結末だな、とも思っている。
安易ではダメなのか?とグリクレルに聞いてみたら、いいとかダメとか決めるのも安易じゃないのか?と返ってきた。
深いね。
でもって、その後、絵は「大切なものはね、いっぱいあって、一つだけじゃないっていうことを、見つけた」
そうだね。
自分の中に「大切なもの」がたくさんあるとわかっていれば、相手にも「大切なもの」があると思えれば、人間関係が時にこじれても、自分を大切に思っていられるね。
そして、生きていれば「大切なもの」って変わっていくこともある。
ぬいぐるみが一緒じゃなくても眠れるようになったり、親友が替わったり、離婚したり。
自分の核になる「大切なもの」、自分を成長させる「大切なもの」。
最終章は、りらと絵のその後。
明日は、よく晴れたいい日でありますように。

