12月28日(日)
最近めっきりお散歩の時間が取れませんでしたので、今日は「お散歩宣言」をしてからサツエキまで出かけてきました。
もう年末のお休みに入ったし日曜日だし…ということで、結構な人出。
チカホはあきらめて、ステラプレイスとアピアの当たりをうろうろして5000歩。
まあ、歩かないよりましでしょ。
しろたんの福袋。かわいい。欲しい。
来年の4月に髙木くんのお芝居観に広島に行くんだけどさあ、ちょうどその時にQuizKnockの皆さんが札幌でイベントを開催することがわかってちょっとショック。
もちろん私にとって一番大事なのは髙木くんなんだけど、ピンポイントでイベントがぶつかるか~って感じ。
イベントの配信とかは見ないんだけど、札幌に来てくれるなら観に行きたかったよね。
でも、配信やってくれても多分見ないけど。
もう、最近はYouTubeですら全部は追えない。
心に余裕がないんでしょうか。
QuizKnockのスコレーで、未公開のビデオを年末年始に大量公開とスタッフブログで言ってましたが、公開中のビデオも全然見てない。
せめてオフショットくらいは見ておきたいのだけど。
ということで、来年は少し読書を減らしましょうかね。
退職して2年弱。
まだ大人買いしたマンガが手つかず。
本日の読書:火定(かじょう) 澤田瞳子
澤田瞳子は聖武天皇の時代が好きなのかしら。
この本もまた、天平の世の庶民の暮らしを描くものだった。
奈良の都を突如襲った不思議な病。
高熱を発し、一度熱が下がった後に全身に疱瘡が広がり、亡くなる人達が次々と発生。
治療法もわからないなか、全身全霊を賭けて患者を診て世話をする施薬院の人々。
施薬院というのは、光明皇后の声で作られた令外官(りょうげのかん)。
つまり私設の病院であり、主人公である名代は、出世から外されたその処遇に不満を持ち、そのうち施薬院から逃げ出すことを考えている。
しかし、あっという間に都中に広まった業病を見て、寝る間も惜しんで患者の世話をする人たちを見て、名代は徐々に医者とは、生きるとは、命とはと考えるのだった。
とにかく疫神(天然痘)の描写が壮絶。
もともとは遣新羅使(遣唐使の新羅版)が持ち帰った病ということで、持ち帰った側の自責の念の強さにも圧倒されたが、「異国から来た病なのだから、異国人を殺せ!」というヘイト行動も、歯止めがきかなくて恐ろしい。
つい出版年を調べてしまったが、これ、コロナの前に書かれた作品なのだ。
施薬院とともに作られた悲田院。
親のない子どもたちを養育する施設なのだが、ここの子どもたちが疫神にかかってしまったため、蔵の中に隔離される。
もう救えないのがわかっていて、他に広めないように、と隔離するのだ。
これもまたコロナの時に行われたことではあるが、子どもたちが隔離されることによって余計にその非情、しかし他にどうしようもない、必要な策に胸がふさがれる。
名代の周囲の人たちも、自分だけは助かろうと、さっさと財産を処分して姿を隠す者がいたり、普段は子どもたちの面倒を見ていたのに、疫神の看病はできないと逃げる人がいたりと様々。
名代と同程度に重要なのが、冤罪で投獄された、元医師の諸男(もろお)。
奈良時代の、不衛生で人権意識のかけらもない牢獄で、人を恨み世を呪い諸男は、まじない札に効力がないことは百も承知で、お札売りという詐欺にまで手を染める。
医者にかかれば助かったかもしれない命を、むざむざ喪わせる行為なのに。
奈良時代という、身分制度にしっかり縛り付けられた社会で、弱者と言われる人たちが支え合い反目し合い、命を救い命を奪う。
閉塞感が増していく作品を読んでいるなかで、最終章のタイトル「慈雨」が支えだった。
喪われた命はあまりに多いが、それでも希望の持てる終わり方だった。
Amazonより
『時は天平、若き官人である蜂田名代は、光明皇后の兄・藤原四子(武智麻呂、房前、宇合、麻呂)によって設立された施薬院の仕事に嫌気が差していた。ある日、同輩に連れられて出かけた新羅到来物の市で、房前の家令・猪名部諸男に出会う。施薬院への悪態をつき、医師への憎しみをあらわにする諸男に対して反感を持つ名代だったが、高熱に倒れた遣新羅使の男の面倒をみると連れ帰った行為に興味も抱く。そんな中、施薬院では、ひどい高熱が数日続いたあと、突如熱が下がるという不思議な病が次々と発生。医師である綱手は首をかしげるが、施薬院から早く逃げ出したい名代は気にも留めない。だが、それこそが都を阿鼻叫喚の事態へと陥らせた、“疫神" 豌豆瘡(天然痘)の前兆だったのだ。病の蔓延を食い止めようとする医師たちと、偽りの神を祀り上げて混乱に乗じる者たち――。疫病の流行、政治・医療不信、偽神による詐欺……絶望的な状況で露わになる人間の「業」を圧倒的筆力で描き切った歴史長編。』澤田瞳子は聖武天皇の時代が好きなのかしら。
この本もまた、天平の世の庶民の暮らしを描くものだった。
奈良の都を突如襲った不思議な病。
高熱を発し、一度熱が下がった後に全身に疱瘡が広がり、亡くなる人達が次々と発生。
治療法もわからないなか、全身全霊を賭けて患者を診て世話をする施薬院の人々。
施薬院というのは、光明皇后の声で作られた令外官(りょうげのかん)。
つまり私設の病院であり、主人公である名代は、出世から外されたその処遇に不満を持ち、そのうち施薬院から逃げ出すことを考えている。
しかし、あっという間に都中に広まった業病を見て、寝る間も惜しんで患者の世話をする人たちを見て、名代は徐々に医者とは、生きるとは、命とはと考えるのだった。
とにかく疫神(天然痘)の描写が壮絶。
もともとは遣新羅使(遣唐使の新羅版)が持ち帰った病ということで、持ち帰った側の自責の念の強さにも圧倒されたが、「異国から来た病なのだから、異国人を殺せ!」というヘイト行動も、歯止めがきかなくて恐ろしい。
つい出版年を調べてしまったが、これ、コロナの前に書かれた作品なのだ。
施薬院とともに作られた悲田院。
親のない子どもたちを養育する施設なのだが、ここの子どもたちが疫神にかかってしまったため、蔵の中に隔離される。
もう救えないのがわかっていて、他に広めないように、と隔離するのだ。
これもまたコロナの時に行われたことではあるが、子どもたちが隔離されることによって余計にその非情、しかし他にどうしようもない、必要な策に胸がふさがれる。
名代の周囲の人たちも、自分だけは助かろうと、さっさと財産を処分して姿を隠す者がいたり、普段は子どもたちの面倒を見ていたのに、疫神の看病はできないと逃げる人がいたりと様々。
名代と同程度に重要なのが、冤罪で投獄された、元医師の諸男(もろお)。
奈良時代の、不衛生で人権意識のかけらもない牢獄で、人を恨み世を呪い諸男は、まじない札に効力がないことは百も承知で、お札売りという詐欺にまで手を染める。
医者にかかれば助かったかもしれない命を、むざむざ喪わせる行為なのに。
奈良時代という、身分制度にしっかり縛り付けられた社会で、弱者と言われる人たちが支え合い反目し合い、命を救い命を奪う。
閉塞感が増していく作品を読んでいるなかで、最終章のタイトル「慈雨」が支えだった。
喪われた命はあまりに多いが、それでも希望の持てる終わり方だった。

