11月18日(火)
有人レジとセルフレジどっちをよく使う?
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有人レジかセルフレジかというと、どちらかというと有人レジ寄り。
有人レジが混んでいても、私が迷惑かけているわけではないから、心穏やかに待っていられる。
でもセルフレジだと、私のせいで皆さんをお待たせすることになりかねないので。
お店側でも、もたもたするお客さんに対応すべく店員さんを配置してくれていますが、だったら有人レジでいいじゃん。
セブンなんて、買った商品を持参したエコバッグに入れるのも、お金を出して支払うのも客側の作業で、店員さんはただ立っているだけなんだもの、このシステムのお店は利用したくない。
セルフレジによる手数料を支払ってくれるというのなら、使ってやらないこともないが。
もうヨーロッパなんかでは、セルフレジを廃止して有人レジに戻している国もあるというのに、日本は悉く海外に比べて周回遅れなんだよなあ。
高齢者の増加が日本ほど急じゃない国で、高齢者を孤独にしないために有人レジに戻すと言っているのに、一人暮らしの高齢者が多い日本でセルフレジって、優しくないよ。
私の友だちで学生時代にスーパーのレジ打ちのバイトをしていた人は、当時すべて手打ちのレジだったので、その日の特売品とその値段を毎日覚えていました。
機械にもできることを機会にやらせるのではなく、人間にしかできない気配りを人間にさせてくれればもう少し生きやすい世の中になると思うのだけど。
というか、技術職を機械化するよりも、頭脳労働者を機械化する方が開発コストは安いんじゃない?
とりあえず政治家をAIにすれば、汚職とかコネとかがなくなる、または激減するのでは、と思っています。
今日のランチ。ゴージャス。
3時間ほどかけて、じっくりランチしている間に、結構横殴りの雪が降ってきました。
次回の図書館は冬靴で行こう。
カバー裏より
『太閤秀吉が病没した。押し寄せる大乱の気配。源斎は、最後の仕事だと言い残し、激しい攻防戦が予想される伏見城へと発った。代わって、穴太(あのう)衆・飛田屋の頭となった匡介は、京極高次から琵琶湖畔にある大津城の石垣の改修を任される。立ちはだかるは、彦九郎率いる国友衆と最新の鉄砲。関ヶ原前夜の大津城を舞台に、宿命の対決が幕を開ける!最強の楯と至高の矛、二つの魂が行き着く先は――。』上巻で実に魅力的なキャラクターとして心に残った京極高次が、再び穴太衆とタッグを組む!
いや、実際は何もしないけど。
存在が楯、という気がしましたよ。
前線で戦う武士、城を守る穴太衆、そして暮らしを支える民衆のそれぞれに、生き延びることを願う宰相・京極高次。
そのためなら自身はどんな汚名をかぶっても、蔑まれてもかまわないという覚悟。
闘いに倦み疲れ、戦国の世を終わらせるため、絶対に落とされない石垣を組む匡介。
闘いに倦み疲れ、戦国の世を終わらせるため、圧倒的な強さの鉄砲を作る国友衆の彦九郎。
守りながらも攻めなければならないときがある。
攻めつつも守らなければならないものがある。
その矛盾を抱え持つのが人間であり、その矛盾を抱え持ちながら平和を希求するのだ。
何度も何度も石垣に打ち込まれる大砲の弾。
崩されるたびに命をかけて修復していく作業は、きっと平和を守るってこういうことなんだと読者に示しているかのよう。
それが本当の『塞王の楯』なのだと思う。


