10月15日(水)

 

来週の月曜には娘が帰ってくるというので、ここにきてようやく10さんが動き始めました。

とりあえずしばらくは娘に和室を使ってもらうとして、娘の家具が届くまでに不要物を10さんに処分してもらい、最終的には今10さんが使っている元の子ども部屋を娘に渡し、10さんが和室を使う、ということになっている。

 

今まで和室の押し入れに入れていた、水やお茶やビールなどのストックを私の仕事部屋のウォークインクローゼットに移し、押し入れにしまい込んでいた本なども分別した私と違って、10さんは今まで全く動かなかったの。

で、今日、いきなり不要物を整理しだしたのだけど、そもそもが「早く捨ててよね」って私が持ち込んだ不要物の中で寝ていたのだから、物の置き場が変わっただけで、不用品の量は全く変わっていない。

 

多分初めて手を付けたんだね。

元子ども部屋だけあって、子どもたちの遺物がたくさん発掘されてくる。

その中で、娘の中学時代の卒業文集に感心した。

 

名前、生年月日、血液型、住所、電話番号、メールアドレスなど、テンプレートで記載事項が決まっているなか、娘は自作のぶさかわキャラクターを「住所、電話番号、メールアドレス」欄の上にでかでかと描いていたのだ。

札幌市…011…チラ見せのようにどうでもいい部分だけキャラクターから覗いているけれど、肝心な部分は全く見せてはいない。

完璧。

 

我が娘ながら、この危機管理能力は素晴らしい、と思った。

他の子たちはみんな、真面目に全部書いているんだよね。

そういう時代だったの。

これは今度ほめてやらねば。

 

「高校に入ったらやりたいこと」に、安田顕さんのすばらしさを知らせたいと書いてあって、笑った。

確かみんなに「誰それ?」って言われたらしい。

数年前、ようやく時代が私に追いついた、と自慢してたもんなあ。

 

「未来の自分にひと言」に、頑張りすぎるなって書いていて、自分のことよくわかってたんだなあと思った。

 

放送部の全国大会で、アナウンサー部門で読む台本も力作だった。

当時から大好きだったロザンの菅ちゃんの似顔絵をはじめ、カラフルなイラストや折り紙を切り貼りしたデコレーションなど、多分夜中にコツコツと楽しく作っていたんだろうなあと思ったら、いじらしくて。

10さんとしみじみしてしまったため、作業ははかどらず。(私の分は終わってるのよ、ずっと前に)

 

 

 

 

 

本日の読書:「ない仕事」の作り方 みうらじゅん

 

カバー裏より
『「マイブーム」「ゆるキャラ」など新語を生み出し、それまで世の中に「なかった仕事」を企画、営業、接待も全部自分でやる「一人電通」という手法で作り続けてきたみうらじゅん。アイデアのひらめき方から印象に残るネーミングのコツ、世の中に広める方法まで、その驚きの仕事術を丁寧に解説。糸井重里さんとの対談も収録。』

人が目をとめないものに目をつけ、面白がることにより新たなブームを作る天才・みうらじゅん。
そしてそれが、小学生の頃から変わっていないというのが驚き。
仏像のスクラップを始めたのは小学4年の時というのだから、かなり執念深いと言ってもいい。

まあ、小学生の頃はブームを作ることはできなかったようだが。
それはそうだ。
子どもは、そして最近は大人も、流行っているものが好きなのだから。
でも、みうらじゅんは思っている。
流行っているものはいつか流行らなくなる。

一応、離れた位相の概念を組み合わせて新しいものを作る、組み合わせたもののうち片方はネガティブな語感のものにする、などのテクニックもあるが、肝心なのはまず自分が面白いと信じることと、それを続けることなのだ。
だからこそ仏像好きの子どもが仏像大使にまで上り詰めることができたのだ。

就活時に面接官を接待するつもりで面接を受けた、というのは大切な心構えだと思う。
心にもない「よいしょ」ではなく、相手を少し持ち上げながらこちらの要求をのませるわけだから。
ともにいい仕事をしましょう!と。
まあ、彼は二社受けて二社とも落ちたらしいけど、方向性は間違っていないと思う。