7月15日(火)
選挙当日は投票に行けないので、今日、期日前投票に行ってきました。
初めて行ったのですが、当日と同じように場所が作られていて、当日よりはやや少ないとはいえそれなりの人たちが受付や投票券配布や立ち合いなどを務めていて、これは結構なお金がかかるだろうなあと思った次第。
ありがたいことですけれどね、国民の権利をこうやって守ってくれていることは。
選挙に関して、最近ずっと考えていることがいくつかあります。
ひとつは、討論番組が大変見苦しいこと。
広く浅いテーマと討論で、自分の言いたいことはがなり立て、他人の言うことを遮ること甚だしい。
これ、子どもに見せられますか?
1週間くらいかけて、毎日ワンテーマで1時間のディベート番組をやればいいのにって思います。
例えば消費税について、賛成、反対を先に明らかにして、党首でも候補者でも部会長でもいいので、それぞれの党の考えを述べる。
テレ東当たりでやってくれないかなあ。
選挙が終わった後でもいいから、この番組を高校生に授業の一環としてみせる。
前回の主張がどの程度達成できているかの総括もする。
すぐに効果は出ないかもしれないけれど、特に先生が解説することなくぼーっと眺めているだけでも、夫婦別姓や消費税、私学助成や働き方改革など、興味のあるところが耳に入ってくればOK。
ゆくゆくは、学生も当たり前に政治について考えるようになればいいなあと思うので、あえてテストなどはしないで欲しいくらい。
もうひとつは、ネット投票ですね。
投票所に行って投票するのもいいですが、ネットで投票、出来ないでしょうか。
必要な人は事前申請をして、当日はビデオ通話のように対面で本人確認をし、終了後はポチポチと入力して投票。
例えば高齢だったり病気などで投票所に行けない場合、ネット投票は絶対必要だと思う。
「スマホもパソコンもわからんよ」という人には、役場からか選管から担当者がタブレットを持って訪ねていけばいい。
病院や高齢者施設なら、同日にまとめて出張投票も可。
ネットならなりすまし投票が心配という声もあると思いますが、今現在でもやる気になれば投票所に別人が行って投票することも可能です。
ネットで成りすますのも、画面越しとはいえ対面で本人確認をすることで、多少は抑止することができるんじゃないかなあ。
なんとか、善処してほしいと思います。
期日前投票をした後食べた、お昼ご飯の塩ラーメン。
子どもの頃いとこの家で食べた函館の塩ラーメンがこんな感じでした。
このサイズの麩が絶対必要。
麺の細さも硬さも、スープのうまみも大満足。
10さんの炒飯も美味しかったらしい。
本日の読書:つけびの村 噂が5人を殺したのか? 高橋ユキ
犯人の家に貼られた川柳は〈戦慄の犯行予告〉として世間を騒がせたが……それらはすべて〈うわさ話〉に過ぎなかった。気鋭のノンフィクションライターが、ネットとマスコミによって拡散された〈うわさ話〉を一歩ずつ、ひとつずつ地道に足でつぶし、閉ざされた村をゆく。〈山口連続殺人放火事件〉の真相解明に挑んだ新世代〈調査ノンフィクション〉に、震えが止まらない!』
山口県の山奥、たった12人しか住んでいない集落で、5人の村人が惨殺された。
「連続殺人と放火」というだけでも衝撃的なのに、5/12が殺されたのだから、その衝撃度たるや。
犯人とされたのは、その村の出身で、40代の時に村に住む親の介護を理由に川崎市から戻ってきた男。
しかし両親を看取った後、彼は村の人たちと交流することはほとんどなく、一方的に噂の的となり嫌がらせを受けていたという。
思い余ったうえでの犯行だったのか。
逮捕された直後は犯行を認めていた容疑者は、途中からすべて警察のでっち上げであり、無罪を主張しはじめる。
取材している著者に対しても、一方的に自分の主張をまくしたてる姿は、一種異様だ。
会話が成立していない。
しかし著者が取材をするうえでわかってきたのは、実際に彼は噂の的であったことと、村人から胸を包丁で刺されたことがあったこと。
そして、今回の事件とは関係なく、この少人数の集落で、放火が割と日常的に行われていたこと。
イヌやネコなどが、日常的に殺されていたこと、など。
部外者にはショッキングなそれらの事実も、集落に住む者には笑って話せる日常であることが恐ろしい。
有意義な読書であったことは承知の上で、この本についてはいろいろ問題があると思う。
まず、一応仮名になっているとはいえ、読む人が読んだら誰のことかわかる状態で、ここまで村人の悪行を、村人から聞いた悪口として載せることの意味。
引っ越して集落から出て行った人でさえ、どこに住んでいる、誰と住んでいるとみんなが知っているような関係性の中で、このようなことを書くことは不用意に歪みを生じさせないのか。
村の古老の語りというのも、特定の一人ではなく、何人かの証言を一人の語りとして創りなおしたものだという。
それでは、自分が言っていないあれこれを言ったのは誰だ、と猜疑心が生まれはしないか。
真実を知るためには必要だ、という考えもあるだろうが、この本に限っては結局真実は藪の中なのである。
生まれた場所をいまさら動くことができないような人たちが住んでいるこの場所を、噂と悪意に満ち溢れた場所として書くのは、結局誰のためにもなってはいないのではないか。
読んだだけの私でさえ、その閉塞感に息が詰まる思いだというのに、この集落に住む人ならず離れて暮らす子どもたち家族も、この集落に接した場所に住んでいる人たちも、この本を読んで気持ちに区切りがつけられるかと言えば、それは決してないことだろうし、却って新たな心の傷を抱えなければいいと思う。
Amazonより
『2013年の夏、わずか12人が暮らす山口県の集落で、一夜にして5人の村人が殺害された。犯人の家に貼られた川柳は〈戦慄の犯行予告〉として世間を騒がせたが……それらはすべて〈うわさ話〉に過ぎなかった。気鋭のノンフィクションライターが、ネットとマスコミによって拡散された〈うわさ話〉を一歩ずつ、ひとつずつ地道に足でつぶし、閉ざされた村をゆく。〈山口連続殺人放火事件〉の真相解明に挑んだ新世代〈調査ノンフィクション〉に、震えが止まらない!』
山口県の山奥、たった12人しか住んでいない集落で、5人の村人が惨殺された。
「連続殺人と放火」というだけでも衝撃的なのに、5/12が殺されたのだから、その衝撃度たるや。
犯人とされたのは、その村の出身で、40代の時に村に住む親の介護を理由に川崎市から戻ってきた男。
しかし両親を看取った後、彼は村の人たちと交流することはほとんどなく、一方的に噂の的となり嫌がらせを受けていたという。
思い余ったうえでの犯行だったのか。
逮捕された直後は犯行を認めていた容疑者は、途中からすべて警察のでっち上げであり、無罪を主張しはじめる。
取材している著者に対しても、一方的に自分の主張をまくしたてる姿は、一種異様だ。
会話が成立していない。
しかし著者が取材をするうえでわかってきたのは、実際に彼は噂の的であったことと、村人から胸を包丁で刺されたことがあったこと。
そして、今回の事件とは関係なく、この少人数の集落で、放火が割と日常的に行われていたこと。
イヌやネコなどが、日常的に殺されていたこと、など。
部外者にはショッキングなそれらの事実も、集落に住む者には笑って話せる日常であることが恐ろしい。
有意義な読書であったことは承知の上で、この本についてはいろいろ問題があると思う。
まず、一応仮名になっているとはいえ、読む人が読んだら誰のことかわかる状態で、ここまで村人の悪行を、村人から聞いた悪口として載せることの意味。
引っ越して集落から出て行った人でさえ、どこに住んでいる、誰と住んでいるとみんなが知っているような関係性の中で、このようなことを書くことは不用意に歪みを生じさせないのか。
村の古老の語りというのも、特定の一人ではなく、何人かの証言を一人の語りとして創りなおしたものだという。
それでは、自分が言っていないあれこれを言ったのは誰だ、と猜疑心が生まれはしないか。
真実を知るためには必要だ、という考えもあるだろうが、この本に限っては結局真実は藪の中なのである。
生まれた場所をいまさら動くことができないような人たちが住んでいるこの場所を、噂と悪意に満ち溢れた場所として書くのは、結局誰のためにもなってはいないのではないか。
読んだだけの私でさえ、その閉塞感に息が詰まる思いだというのに、この集落に住む人ならず離れて暮らす子どもたち家族も、この集落に接した場所に住んでいる人たちも、この本を読んで気持ちに区切りがつけられるかと言えば、それは決してないことだろうし、却って新たな心の傷を抱えなければいいと思う。